〜マンマミーヤなトイレ騒動〜     




皆さんは、外で便意、または小便意をもよおした時、どうするだろうか?
迷わず公衆トイレに向かうか、それとも家、あるいは目的地まで我慢するだろう
か?

わたしは後者である。どうも駅のトイレや外の公衆トイレ等の類は苦手なので、
極力、我慢してしまう。
それでもどうしてもダメという時は、妥協してなるべくキレイな所を探して入る
のだが、それも滅多に無い。

イタリアは先ず、公衆トイレの無い国だった。
公衆トイレの苦手な私ですら、実際、あまりの無さすぎな現状に、ちょっと不安
を覚えてしまう。

街自体が一つの芸術であるからして、そんな所にトイレなる俗物をなるべく置き
たくないという気持ちも
分からなくも無いが、人間、『急に・・・(ゴロゴロ!!)』という時が誰にで
もあるのだ。

そんな時はやはりファースト・フード店が入りやすいとガイドさんは言った。

レストランやカフェなどに入ってしまうと、まず席に案内されてしまって、『ト
イレだけ借りてさようなら』
という状況は望めない。
飲み食いしたくも無いのに、無駄な時間と出費になってしまうだけだ。ブティッ
クも同様。

だがファースト・フード店でも、さすがに「トイレだけ・・・」というのは心苦
しいので、入店の際、

『“トイレから出たらもちろんハンバーガー買いますよ。更にポテトも付けちゃ
います。
  だから先にちょっとトイレ貸してね”みたいな顔(どんな顔だ!?)で入っ
て、トイレ済ませたら
  サッサっと出てきちゃいなさい。』

っとガイドさんは言った。

しかしそんな顔演技までして入ったファースト・フード店のトイレも長蛇の列で
ある。
特に女子トイレはなかなか順番が来ない。
私の前に立っていたオバサンは我慢しきれず男子トイレに入っていった。

ようやく私の番。
出てきたオバサンが「ここのトイレ、鍵が壊れてるから気をつけてね」(イタリ
ア語&ジェスチャー)と教えてくれた。
「鍵が壊れててもドアが閉まりゃいーや」と思って入ったのだが、
小さな小さな取っ手を、指で内側に引っ張って押さえとかないと、自然にドアが
ギーっと開いてしまうのだ。

「なんじゃこりゃぁ、鍵だけじゃなくてドアまで壊れとるぅ〜!!」

しかも取っ手は本当に小さくて、指でつまむ程の大きさしかなかった為、2本の
指だけに力を入れたまま用を足すというのは
非常に疲れる作業であった。
(右手の親指と人差し指で取っ手を引っ張って“合点、承知の助!”のポーズ)

そして事件が起こったのは左手のみでズボンを穿いている時である。
指でつまんで抑えていたドアが急に外側にいきおいよく開かれたのだ。(はずみ
で2本の指はジンジン痛んだ)
ビックリして顔を上げると、目の前には、大きな目を更に大きくして私よりもも
っとビックリした顔でこちらを見つめている、
若いイタリア人女性が立ちすくんでいた。

2人とも無言のまま何秒か見つめ合った。
(いや、実際には0.0何秒かだろう。でもそういう時って必要以上に長く感じ
るもんなのだ)

しばしの見つめあいの後、女性は「ミスクージ!(ごめんなさい!)」と叫んで
慌ててドアを閉めた。
私はというと、腰を浮かしてズボンを引き上げているという、何とも間抜けな格
好をしていた。
右手は『合点、承知の助』のポーズのまま・・・。はぁ〜〜〜・・・・・・。
あの女性、今思い出すと、とってもお洒落なナリをしていたなぁ・・・。
ホリは深いしスタイルはいいし・・・。そんな方に見られてしまった、私の醜態
を・・・!

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 ☆★
                                    
      
こんな情けない話ならまだいいのだが、(よくない、よくない)
公衆トイレが少ない為にある時、ツアー内でちょっとしたイザコザが起きてしま
った。

それはフィレンツェでの事・・・。
いつもより少し早めにホテルを出発して、わたし達を乗せたツアーバスは一路、
高速を走っていた。
これから目的地、ウフィッツィ美術館まですごく長い距離を走らなければならな
いというのに、
高速道路は大渋滞で、バスはなかなか進まない。
運転手さんが携帯でどこかに電話して、『なぜこのような渋滞なのか』という事
を聞いていた。
(イタリアは運転中の携帯はOKなのでしょうか?)
時折、彼の口から「マンマミーヤ」という言葉が聞こえてくる。・・・嫌な予感
・・・。

どうやら大渋滞の原因は事故のようだ。
しばらくノロノロ走っていくと、2台の車が見るも無残な姿で道路の傍らに寄せ
られていて、
警官や検察官がチョークやメジャーを片手に、取り調べか何かをしている光景が
目に入った。

「これか、これのせいで、わたし達の行く手は阻まれていたのね」

そんな事故現場を横目で眺めつつ、バスはまたスピードを上げた。

フィレンツェには、約2時間弱ぐらいの遅れで到着した。
現地を案内してくれる日本人ガイドさんは、もうとっくにその場に来ていて、イ
ライライライラと
我々が来るのを待っていた。

『遅いじゃないのさ!私ずっとここで寒い中待っていたのよ。もう、何なのよ、
あんたたちは!』

と、口にこそ出さないが、そう顔に書いてある。怒りモード満タンだ!

そ、そんなこと(顔で)言ったって、しょうがないじゃん〜、バスが・・バスが
、遅れていたんだよ〜〜!
事故があったんだよ〜、わたし達のせいじゃないんだよ〜〜〜〜〜!!

高速の事故のお陰で予定時間がだいぶ狂ってしまい、その日の観光スポットであ
るフィレンツェのドゥオモ、
ベッキオ橋も、終始、イカリ顔のガイドさんに連れられて駆け足で見させられ、
はっきり言ってどんな所だったか
全然覚えていない。
ちょっと見て走って、ちょっと見て走って・・・。走りついでに横目でチラリと
見て終わっただけの観光スポットであった。
「とりあえず、要点だけでも抑えとかないと」
っと、ガイドさんはろくな説明もせず、ただ事務的に仕事をこなしていた。

走りました、とにかく走りました。
人込みの中、ガイドさんを見失わないように走るだけでも、かなり疲れた・・・


そのうち、友人がトイレに行きたいと言い出した。
ツアー内に「私も」「私も」と言う声が飛び交う。
イカリ顔のガイドさんは「この後のウフィッツ美術館が済んだら昼食だから皆そ
れまで我慢できないか?」と聞いた。
皆、それまで我慢できなかった。
何とか10分、時間をもらい、近くの建物のトイレになだれ込んだ。

建物の中に入ると、入り口付近まで何故か物凄い行列が続いている。

これはいったい何ぞや?何か催し物でもあるんかいな?
でもわたし達には関係ないわ、トイレトイレ・・・。

と、列の横をすり抜けようとすると、なんと、その行列は女子トイレからであっ
た。
半端じゃない行列!ここもかよ〜・・・勘弁してよ〜〜〜・・・。
制限時間は10分。待てど暮らせど順番は来ない。女のトイレは特に長いのだ。
ツアーのオババ達も、土気色の顔でイライラ待っていた。

「もうダメ!限界じゃ!」

っと友人は叫び、そばにいたイタリア人男性をとっ捕まえて「この辺に別にトイ
レはありませんか?(英語)」と聞いた。

「向かいの建物に有るよ」とその男性に教えてもらい、わたし達2人とその近く
にいたツアー仲間は、
そちらのトイレを目指して走った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

っが、案の定、そこも長蛇の列。残り時間は後5分も無い。いいかげん、この状
況に頭きてしまった。
一体、この国のトイレはどうなってんのだ〜〜〜〜〜〜!!
・・・でも背に腹は変えられない・・・。わたし達はその蛇の最後尾に加わった
。・・・・・そして・・・・

集合時間よりちょっとオーバーしてスゴスゴ皆の元へ集まったとき、何故かただ
ならぬムードがムンムンと漂っていた。
イカリガイドは更に目を吊り上げてハンニャのお面のような顔になっている。
他のオババも、そのハンニャの弟子のような顔でそこにいた。

「なになに?一体何事?」
トイレから帰った組は訳が分からずにいた。

イカリガイドが、
「ウフィッツ美術館に行く時間がなくなりました。美術館の係員に予約時間の延
長をお願いしたんですけどダメでした。
 なので、美術館は取り止めにします。」
と、ブッキラボーに言った。

ハンニャの弟子のオババ達は、最初に入った建物のトイレがあまりにも混んでい
た為、集合時間が来ても順番がまわって来ず、
諦めてそのまま集合場所に戻ったのだそうだ。

オババ達は猛烈に怒っていた。そりゃそうであろう。
トイレにも行けず、楽しみにしていた美術館も取り止めとあっては誰だって怒る
に決まってる。

『何よ!あんた達だけトイレに行けてわたし達は行けなくて、その上、美術館に
も行けないじゃないの!きーーーーっ!!』

わたし達は大量のアドレナリンの渦の中で小さくなっていた。
オババ達はその怒りをハンニャガイドにも向け、あーだこーだと文句をたれてい
たので、ハンニャも益々怒り面となり、
しまいには赤鬼のような顔になっていった。

赤ハンニャは怒りながらここで一つの提案をした。
この後の昼食を無しにして美術館に行くか、美術館無しにして昼食に行くか、ど
ちらかの組に分けるか・・・。
最悪な事にウフィッツ美術館内にはトイレは無いらしい。
なので、トイレに行きたかったけど行けなかったオババ達数名は、泣く泣く美術
館を諦め、
トイレのあるレストランに行く事にしたようだ。
トイレに行けた組は美術館へ。わたしと友人もトイレに行けた組だったが、
美術とどうも相性の良くないわたしは迷わず昼食を選んだ。
レストランに向かう途中も、オババ軍団はブリブリと怒りをあらわにしていた。

昼食はラザニアだった。
トイレに行けたオババとトイレに行けなかったオババが同席になってしまい、食
事が運ばれて来るまで気まずい雰囲気が漂っていた。
(トイレに)行けたオババが(トイレに)行けなかったオババに気を使って話し
掛けても、
行けなかったオババはガンとしてシカトを決め込んでいる。
シーンとしたまま、ただ黙々とラザニアを食べていた。
美味しかったのに、こんな状態だったので非常にもったいない。

だが、昼食も終盤に差し掛かり、食後のコーヒーが運ばれて来た頃には、何とな
くオババ達も和やかムードを取り戻したので安心した。
ハンニャガイドもここに来てようやく笑顔を見せていた。
笑うと結構綺麗な人だったが、もう今のわたしにはハンニャのイメージしか残っ
ていない・・・。

まー、この仲間割れの危機を、すべて“トイレが無かったから”で片付けてしま
うのは過言かもしれないが
(高速道路の事故の事もあったし)、女性にとっては特に何かと大変なトイレ事
情であった事をここに記しておく。
今思い返すと、トイレばかり探し回った思い出だけが残る。

またその他の建物やレストランで入ったトイレも、どれ一つ鍵がまともに付いて
る所は無かったし、
水の流れが悪くてすぐ詰ってしまうのは当たり前だった。
ベニスのレストランで入ったトイレなんか、鍵が無いのはもちろんの事、更に男
性用にはドアすら付いてなかった。
鍵が無かったおかげで、わたしはまたしてもトイレ中、同じツアーの女の子にド
アを開けられてしまい、
(彼女はわたしが入っている事を知らなかった)2度も泣きを見る羽目となって
しまったのだ。

イタリアの公衆トイレってば使用料金を取るくせに、本当いいかげんなものだ。
やっぱりホテルのトイレが一番である。

その後、昼食組も美術館組もみんな上機嫌ですっかり普通に戻り、冷戦状態に幕
を閉じたのであった。やれやれ・・・・。