〜 水の都 〜



ガビ〜ン・・・(死語)。朝起きたら雨だった。しかも土砂降りだ・・・。
旅行3日目にしてついに雨に当たってしまった。
わたしと友人は顔を見合わせ溜息をついた。

本日の日程はツアーバスでベローナ市内に入り、ロミオとジュリエットの舞台と
なった街見てからエルバ広場に行き、
そして午後はベニスまで移動してゴンドラに乗るという、すべて外での観光スケ
ジュールであった為、
このバケツを引っくり返したような雨には行く前からホトホトうんざりしてしま
った。

10月のイタリアは場所にもよるが、晴れの日はポカポカしてすごく暖かいのに
、ちょっと雨になってしまうと
一気に気温が下がる。
なので、その日の早朝の外は真冬並に寒く、まだ10月だというのに息が白かっ
た。
イタリアン料理のコックを目指して勉強しているイタリア在住の友人に、イタリ
アは雨の少ない国だと聞いていたので
そうかそうかと全く油断していた。
少ないどころか今回の6泊8日の旅では実に3日間は雨であった。

旅行の際、あってはならないもの。それは体調不良と雨であるとわたしは思う。
「着替えを忘れた」とか「化粧道具一式忘れた」とかいう忘れ物の類なら現地調
達で何とかなるが(パスポートとお金は別よ!)、
体調不良と雨に関しては自分ではどうしようも出来ない。
その日のわたしは体調不良(腰痛)と雨、2匹の敵に見舞われていた。

ホテルのロビーで元気なオババ達と「雨で嫌だわねぇ」等とお決まりの挨拶を交
わし、皆続々とバスに乗り込んだ。
昨日と同じ運転手さん。今日こそは挨拶しよう、わたしは決心していた。
ツアー客は誰一人として運転手さんに挨拶していない。
ここは私だけでもと思い切って、「ボンジョルノ!!」と言って笑ってみた。
するとその運転手さん、ハの字眉毛を更にハの字にして満面の笑みで挨拶を返し
てくれた。
昨日だって彼は別に怒ってなんかいなかったのだ。ただ怒り顔なだけなのだ。
思い切って挨拶出来て良かった。(ハの字眉毛で怒り顔とはこれいかに?)

バスは雨の中、ワイパーを最高速度で動かしながらベローナ市内に入った。
ちょっと期待していたのだが、やはり雨は止む気配はなかった。
わたし達は傘を差してベローナの町を歩いた。

こうして見ると雨のイタリアもまた一興であった。
雨に濡れて、建物の色が濃く鮮やかに浮き出て、町並みが立体的に見えるのがす
ごく綺麗。
それはいいのだが、つらかったのは傘を差しながらの写真撮影だ。
おっ、良いアングル!とカメラを構えると傘が写ってしまう。
傘を退かすとカメラのレンズに雨のしぶきがかかる・・・。どうにもこうにも上
手くいかない。
それに雨のせいで気温が低くて、トイレが近くなってしまうのも悩みだった。
イタリアは公衆トイレが滅多にないので我慢し続けることが何度もあった。

さて、まず我々は『ロミオ&ジュリエット』の話で知られるロミオの家に行った
。13世紀に建てられたモノらしい。
ものすごく背の高い分厚い外壁に囲まれているせいで家が全く見えず、ガイドさ
んがいなかったらウッカリ見過ごしそうである。
ここはロミオの家ですという意味の看板が申し訳程度にチョコンと付けられてい
るだけで、
あとは周りの建物に溶け込んでしまっていてあまり面白くはなかった。
“ロミオの家”というよりも“ロミオの家の外壁”を見に行った感じだ。
私は『ロミオとジュリエット』の話はイタリアが舞台だということを、ここに来
て初めて知ったのだった。
恥ずかしい限りである。

一方ジュリエットの家も、おぉ、イメージどおり!という感慨は何も沸かなかっ
た。
やはりそれも、周りの普通の建物と同じような外見で、すましてそこに建ってい
た。
いくら落ちぶれていたとは言っても、とてもこれが貴族の家には見えない。

ロミオの家は外から見ただけだったが(外壁に囲まれていたので家自体は見えな
かったが)、ジュリエットの家は中に入れた。
灯りが無く、家具もポツンポツンと置かれている程度だったので、暗くジメジメ
として寒々しい感じの印象を受けた。
2階にはジュリエットの部屋があった。
そこにはロミオとコッソリ愛を囁き合ったと言われるバルコニーがある(はずで
ある)。
しかし実際そこにあったのはバルコニーじゃなくて柵のついた小さな窓だった。
しかも地面から、とてつもなく高い場所にあるので、とても甘い愛の囁きなど出
来るはずが無い。
大声を張り上げないと会話など出来そうも無いので悲しいシークレット・ラブ
≠ヌころではなかったはずだ。
それを言ったら、『ロミオ&ジュリエット』の話は作り物だと言われ、
サンタクロースなんて本当はいないんだと知った子供のようにガッカリした。

2階に上がって窓の下を見るとそこは中庭になっていた。
中庭の中央にはジュリエットの等身大の像がスラリと立っている。
細くて綺麗な顔立ちをしたその像は全身青サビに覆われてしまっていたが、ただ
一箇所だけ青サビなんて少しも付いてなく、
金に輝いている場所があった。それはジュリエットの右胸である。
見ると観光客は皆、ジュリエットの右胸を触りながら写真を撮っていた。
そうする事で、幸せな結婚に恵まれるとの言い伝えがあるらしい。(そこだけ皆
触るから青サビが付かないんだな)

幸せな結婚!

わたしと友人はその言葉に色めき立ち、一目散にジュリエットの元へ走った。
ジュリエットの周りはすごい人だかりだ。皆、一様にカメラを握り締めている。
アーケードの牛の絵といい、このジュリエットといい・・・、人はこれほどまで
に幸せを求めているのだろうか・・・。

笑えたのは、60歳はとうに超えているであろうオバサン達が、その人だかりの
8割を占めていた事だ。
あんた達、いくつだよ。いるだろ旦那が、子供が、孫が・・・!!
これ以上何を望むつもりだい!まさかその年で再婚でもするつもりかい!?

オバサン達は無遠慮にジュリエットの胸を鷲掴み、無我夢中でシャッターを切っ
ていた。
その気迫たるや物凄いものである。
「・・・まぁ、記念だからいいんじゃん。撮ったれ撮ったれ」
わたし達は、おおらかな気持ちで順番を待っていたのだが、一向に終わる気配は
無い。

これから将来ある私等に順番譲らんかい!こんな既婚者達なんかに負けてられな
いぜ!自ら進んで行かなければ!!

わたしと友人はオババをかき分けて先頭に踊り出た。
後にも人が沢山待っていた為、サッサと撮ってトットと去らねばと焦り、傘なん
て邪魔!と放り投げ、
まず友人をジュリエットの横に立たせた。
友人も「早くしなければ」と焦っていたのだろう。何を思ったのか、彼女はジュ
リエットの乳首をつまんで写真に写っていた。

・・・あ・・・あんた、どこを・・・!!

今まで見ていたけど乳首をつまんで写真を撮っている人なんて一人もいない。彼
女だけだ。
周りからドッと笑いが起こった。
ツアーの人たちだけじゃなく、見知らぬイタリア人までもが友人を指差して笑っ
ていた。
『・・・恥ずかしい奴め・・・』
と言いつつ私も受け狙いで乳首つまんで、再び大衆を笑いの渦に陥れてやろうか
と考えたが、
そんな事したら幸せな結婚、出来るものも出来なくなってしまいそうなので止め
た。
色物担当は彼女一人に任せておこう。

また少し雨足が強くなり始めた昼過ぎ、我々はベニスへと移動した。
ベニスに着くとすぐ昼食となり、レストランに案内された。

すごく寒かったその日、レストランに入るなりオババ達はトイレに駆け込んでい
った。
とても汚いトイレで、おまけに鍵も付いていない。
飲食店の良し悪しはトイレ等の衛生面で分かるとはよく聞くが、不幸中の幸いと
でも言おうか、
その店はトイレは最悪でも食事は最高だった。イカ墨スパゲティとシーフードフ
ライ。
その店のおばさんが、イタリア人の“美味しい”の表現の仕方を教えてくれた。

「人差し指を頬っぺたに当ててクルクル回しながら『ブオーノ、ブオーノ』と言
うんだよ」

イタリアには『ご馳走様』と言う言葉は無いので、帰る時私たちは頬っぺたを指
差しクルクルしながら
「グラッツェ、グラッツェ」と言って店を後にした。

さてさて、食事が済むと次はいよいよゴンドラである。
せめてゴンドラに乗るときは雨は上がっててほしいなぁっと思っていたけど、そ
れは無駄な望みだった。
今尚、冷たい雨が降る注ぐ中、わたし達は3組に分かれて、3舟チャーターした
ゴンドラに乗り込んだ。
当然、屋根なんか無いので座る所もビショ濡れである。
寒くて歯はガチガチ鳴るし、お尻は冷たいし、傘は風にあおられるし、揺れて怖
いし、背中には波がかかるし・・・。
晴れていれば多分最高のイベントだっただろう。

しかしこのゴンドラというものは、思ったより揺れが激しい。
乗り込むときも、波にあおられて揺れまくってる舟に乗り移るのに時間がかかっ
た。
座ってても怖いのだからとても立ちあがれるわけがない。
あまりの揺れに驚き、我々はまたしても森進一の引きつり顔が復活してしまった

それに寒さも手伝って引きつり顔に拍車がかかり、≪コロッケが真似している森
進一顔≫にまで発展してしまっている者もいる。
友人もその一人だ。
「だいじょーぶぅー?」
声をかけても人一倍怖がりの彼女は唇を青くして、声すら出せず固まっていた。
手はしっかりとゴンドラのヘリを掴んでいる。大きな目を見開いて無言で私を見
返しているだけだ。

しばらく進むうちに、段々揺れが収まってきた。もう怖くないぞぉ。
建物が密集した場所には風が届かないのだろう。波も立たないのでゴンドラも殆
ど揺れず、流れるように進んで行った。

怖く無くなったら怖く無くなったで、今度は寒さがまたしても蘇って来た。
だが、コートを着込んで震えているわたし達をよそ目に、漕ぎ手のゴンドリエ達
は実に元気だ。
緑と赤の縞々Tシャツにサブリナパンツ、首にはバンダナを巻いただけのファッ
ションで陽気に歌いながら体を上下に動かし、
踊ってるみたいな動作でリズミカルに舟を漕いでいる。

3舟の中でも私の乗ったゴンドラのゴンドリエは特に陽気で、一人で歌って一人
で喋って一人で笑っていた。
見ると彼は異様に赤ら顔であった。というか、赤黒い。
しかも他の2人に比べ、異常なほどのハイテンション。
さっきから微かに漂っているアルコールの匂いは、やはり気のせいでは無かった
ようだ。奴の口からだ!
おいおい、これって仕事中じゃないの?いーのかね、勤務中の飲酒・・・。
ガイドさんは、「そんなの。イタリアは何でも有りの国なのよ」とケロリと言っ
た。

マ、マ、マ、マジっすか?日本じゃ全く考えられん!!
それともゴンドリエの仕事は陽気じゃないといけないので、特別に“飲酒OK”
になっているのか?・・んなバカな!


〜水の都〜
ここは全くその名のとおりだ。
これほど水の似合う場所はそうそう無いだろう。雨だったので余計そう思う。
町の中に水が張り巡り流れているなんてすごいじゃないか!
とても綺麗とは言えない水路だが、建ち並ぶ色とりどりの建物や、街灯・家の灯
り等が水面に映ってユラユラ揺れ、
そこをゴンドラで進んで行く様は、日本でのシガラミを忘れさせてくれる、とて
も素晴らしい時間だった。
(日本のストレスは、この場で水に流していこう)

水路の両脇の建物は、レストラン、カフェ、ホテルと更にアパートまでもが並ん
でいる。
カチャカチャと食器の音や、人々のざわめき声や笑い声、水面を走る冷たい風、
美味しそうな料理の匂い、
ゴンドラが揺れる度にかかる水のしぶき・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・。
五感をフルに活用して水の都を堪能した。

ここでどんなに説明しても、やはり“百聞は一見にしかず”だ。
でも、そう。敢えて例えるならば・・・、ディズニーランドのイッツァ・スモ
ール・ワールド≠竍カリブの海賊%凵A
水の中を進んで行く系のアトラクションを100倍生活臭くした感じ・・・とで
も言うか・・・(ちょっと違うか・・・)。

雨の中、寒くて冷たくて大変だったが、水の都はとても心に残った場所だ。

しかし、何年かしたら確実に床上浸水が訪れるであろうと言われているベネチア

その日が来たら、ここの人々はどう生活してゆくのだろう・・・。