ミラノ滞在




 ミラノの朝、私と友人はそろって寝坊してしまった。
集合の30分前に2人同時に飛び起き、我先にと洗面所に駆け込み押し合いへし
合い水道を取り合った。
夕べ、化粧も服も何もかもそのままで眠ってしまった私は、30分のうちに急い
でシャワーを浴び顔を洗い歯を磨き、
夕べのメイクがまだちゃんと落とし切れていないであろうその顔に新たなメイク
を施し(げげっ!重ね塗りって事?)
あわてて集合場所であるホテルのロビーへと駆け下りていった。

私たちの部屋は3階だったので当然のごとくエレベーターに乗ろうとしたのだが
、2台あるうち1台は壊れてて使い物にならず、
もう1台は待てど暮らせどなかなか来てくれない。
そしてやっと来たと思ったら、いかにもイタリア人!っというほどの幅広な体格
のオバサンが2人乗っていたので、
とても私たちの入れるスペースは有りそうに無かった。
(断っておくが、エレベーターの広さは普通の人だったら5、6人は入れる広さ
である。・・・恐るべし!オバイタリアン!!)
と言う訳で非常階段を使ったのだ。

階段を下りてる途中からもうロビーの方から、我がオババ・ジャポネ―ゼ(日本
のオバサン)の声が聞こえてきた。

「ちょっと〜、このミネラル・ウォーターの自販機、お金入れたのに出てこない
わよ〜。ど〜なってんのよ〜!!」
「すいませ〜ん、すいませ〜ん、・・・えっと、エクスキュウズミ〜?このパス
ポート、コピーしてもらえる?
分かる?コピーよ、コ・ピ・イ・!」

見ると朝から元気なオババ達はフロントにいるイタリア人のホテルマン達に対し
、堂々日本語で話しかけていた。
無論、イタリア人にそんなぶしつけな日本語が通じるはずも無く、ホテルマン達
は皆 困惑顔。
まさに彼らにとっては「マンマミーヤ(やれやれだぜ)!」である。

さすがにちょっと考えたオババ達は、
「マネーマネー、イン、ノー、ウォーター」
「デス、コピー、プリーズ」
っと、可哀相なほど教養の無い英語に切り替え必死になっていた。(ホテルマン
の困惑顔は変わらず・・・)
それを見て私は、「苦手な英語を無理に使って恥をかくくらいなら堂々日本語で
話し通すほうがまだマシかもなぁ」っと
コッソリ思ってしまった。

全員出揃い、添乗員さんが今日1日の日程を説明してくれた。
そして最後に「イタリアは公衆トイレが非常に少ない事で有名です。今のうちに
済ませといて下さい」と付け加えた。

ツアーバスの前では、ホテルの荷物運びの青年2人が、わたし達の荷物をバスに
詰め込んでいて、
通りすがる時に「ボンジョルノ(おはよう)!」とニッコリ笑顔で挨拶してくれ
た。

外国に行くと先ず嬉しいのがこれである。
外人は、例え他人同士であっても初対面であっても必ず笑顔で挨拶してくれる事
。すごくフレンドリーだ。
他人同士で笑顔を交わす事など滅多にない冷めた国(JAPAN!)に住んでい
るわたしはそれだけですごく嬉しくなってしまって、
「こんなどこの馬の骨とも分からない見ず知らずの日本女に、そんな愛想良くし
てくれて・・・すまないねぇ・・」っと、
ババ臭い言い方だが御礼を言いたくなってしまう。

わたしも笑顔で挨拶返さなきゃぁと思い「ボンジョールノ!」と(初イタリア語
!!)慣れないイタリア語を叫び、
それによって少し照れ、ニッコリ爽やかに笑うはずが、引き攣ったような照れ笑
いになってしまった。
(日本人特有の“うすら笑い”とも言うね)
もう一人の青年の前を通る時、彼も例にもれず笑顔で挨拶をくれ、そして右手の
人差し指を空に向け「ペラペラペラ〜リン!」っと
何やらイタリア語で話し掛けてきた。
私の勝手な憶測だが、彼は多分「晴れて良かったですね」らしき事を言ったのだ
と思う。(多分ね)
「えぇ、ホント、晴れて良かったです」とイタリア語で言えない私は、またヘラ
ヘラと不気味なうすら笑いを浮かべながら
コクコクと頷くだけだった。

しかしその青年も、こんな無知そうな日本女にイタリア語が通じるはずが無い事
ぐらい分からんのかねぇ・・・。
それでも話し掛けてくれるなんて、改めてイタリアは陽気で話し好きで気さくな
フレンドリー国だと思わずにはいられない。

前のドアからバスに乗り込むと既に運転席には、イタリア人のオジサン運転手さ
んが、ハンドルに肘を乗っけて
ムッツリと我々が来るのを待っていた。
頭の禿げた顔の小さい小柄なオジサン。眉毛は黒くフサフサとしていてハの字型
。なかなかナイスガイなのだが、
ちょっと怒ってるように見えた。(こわ〜い・・・)
その運転手さんにも『ニッコリとボンジョルノ』と思ったのだが、気の小さい私
はちょっと怒り顔の彼に対し、
こちらから話し掛ける勇気がどうしても出せず、先ほどのうすら笑いをまだ顔に
残したまま、無言でバスに乗り込んだ。

移動中のバスの中というのは、ツアー仲間の親睦を計る良いチャンスである。
「お住まいは?」「学生さん?」「これ食べる?」
等と話してくうちにいつのまにか打ち解けていく。
それによって段々、ただのウルサイ、疲れ知らずの不死身のオババだと思ってい
た人たちが実は、どこそこに別荘をいくつも持っている、
かなりのお金持ちで、身だしなみの整った上品な有閑マダムだという事が分かっ
てきた。
中には一つの会社を切り盛りする(それもかなり大手の)女社長だとか言うオバ
バ(いや、失礼・・・)マダムまでいらした。
よく見ると、(一部のオババ達を除いては)確かに皆、お洒落で実際の年齢より
若く見える素敵なマダム達であった。
子供のようにはしゃぐ、可愛らしいマダムもいた。

バスに1時間程揺られた頃、段々ミラノのひらけた街並みが見えてきた。街行く
人はさすが、ファッションの都ミラノだけあって、
ファッション雑誌から抜け出てきたようなセンスで街を闊歩している。
わたしは自分の今の服装を見返してみた。ジーパンに、よれたTシャツ。それに
色あせたジージャン・・・。
動きやすいから旅行には最適!と着てきた服が、この街にはどう見たって不似合
いだ・・・。わたし浮いている・・・。
もう少し、お洒落の街だという事を考えて選べば良かったのだ。
これから8日間、こんな身なりで街を歩くのかと思ったら気が遠くなった。おま
けに写真に写る時もこんな服・・・。
見ると、有閑マダム達はバッチリ気合が入っている。服装、化粧。やっぱりお金
持ちは違うやねぇ。さすがだよ、あんた達は。

でもそんな私の小ブルーな気持ちも、ミラノの見事な建物を見てるうちにどうで
も良くなった。
「いーのいーの、ボロは着てても心は錦!」とポジティブな気持ちまで湧いて来
たではないか!!
わたしの心を前向きにしてくれた建物達は、まさしく一種の芸術。
白と黒と黄と茶のみで統一された色合いといい、構造といい、とても素晴らしか
った。

「これだよ、これ!この街並、建物。これこそイタリアにいるって気分になるね
ぇ」

ミラノ市内では、色調整などの美的を損なわない為に建物の色が決められていて
、白と黒と黄と茶以外の色は
使ってはいけないことになっている。
なので、《ビットリオ・エマヌエーレ・2世アーケード》内にあるマクドナルド
は黒かった。
マクドナルドと言えば、日本では言わずと知れた、赤に黄のMマークがオーソド
ックスだが、ここはミラノ、
もちろん赤は使えないので、なんと黒に黄のMマークであった。
世界にただ一つのブラック・マックと言う事で収めた写真がこれ。
【写真:1】

(ちなみに日本の京都にも建物の色が決められている場所があって、そこにある
マックは茶色なのだそうだ)

サン・バビラ広場周辺の建物は、そこかしこで工事をしていた。
やはり世界遺産である古い建物は、そのままの形で残したいが為に修復作業が大
変なのであろうが、
この歴史風情ある建物に現代の工事の柵やショベルカー等は大変ミスマッチで、
イマイチ興ざめしてしまう。

《ビットリオ・エマヌエーレ・2世アーケード》はドゥオモ(大聖堂)広場の北
側とスカラ広場を結ぶアーケードである。
【写真:2】
大理石の舗道、ガラス張りの天井、見事な壁画と、どれもこれも120年前に作
られたとは思えない代物である。立派立派!
アーケード内には、レストラン、オープン・カフェ、高級ブティック、電話局、
書店、郵便局、そしてブラック・マック等など、
かなり充実していた。

大理石の舗道は、一面色鮮やかに綺麗なモザイク模様が描かれており、ただブラ
ブラ歩くだけでも十分楽しめそうだ。
アーケードの途中、十字路になった場所があり、その中心部には牛の絵が書かれ
ていた。
何でも、その絵を片足で踏みながらその場で3回ターンすると幸せになれるとい
う言い伝えがあるとの事。(なぜに牛の絵?)
人一倍幸せを求める私がやらないわけがない。というわけで早速やってみる事に
する。
しかも、人より2倍の幸せを得てやろうじゃないか!と、欲張って6回回ったら
クラクラして気持ち悪くなった。
やはり欲張り婆さんにハッピーエンドは有り得ないって事よ・・・。ふんっ!

広く長いそのアーケードを抜けると、いきなり視界がパァ〜〜〜〜っと広がり、
そこはドゥオーモ広場だ。
広場には人やハトが沢山集まり、皆思い思いに座って話していたり、食べ歩きし
たり、ハトに餌をあげたりしていて、
なんとのどかな空間。

その日の昼食は、ミラノ市内のとあるレストランで“ミラノ風カツレツ”なるも
のを食べた。
まぁー、つまりあれだよ、あれ。日本のトンカツだね。
ただちょっと日本のより濃い味付けである事を除いては、とんかつ和光となんら
変わりは無い。(ミラノ風ってどの部分??)
けどその肉は、厚さ5ミリほどの超 極薄で(ウィスパーもびっくり)、全体の
大きさは軽く30センチ近くはあり、
皿から思いっきりはみ出していた。
まぁ、これに関しては馴染み深い味なので、別に当たりハズレも無く美味しく頂
いた。

午後からは自由行動だった。この旅、初のフリー!!
わたしと友人は先ず、大聖堂ドゥオモに登ることにした。【写真:3】
ゴシック建築の大傑作であるドゥオモは、何百本もの尖塔が天に突き刺すように
伸びている。
屋上に行く為、エレベーターで2/3程上がり、残りの1/3は今にも崩れそう
な階段をハァハァ言いながら上がっていった。

ドゥオーモの屋上はその何百本もの尖塔に囲まれ、もし空からこのドゥオーモめ
がけて落とされたら間違いなく串刺しだ。
痛そ〜・・・。(と言うか即死だろう・・・。)
中の教会の天井の作りのせいで、屋上は斜めになっていて何とも足場が悪い。
このドゥオーモは、“ミラノのへそ”と言われているぐらいの事あって、屋上か
らはミラノの街が一望できる。
絵ハガキのような景色に、しばし見とれた。【写真:4】

そして次に向かったのが本日のメイン・イベント、『最後の晩餐』の壁画がある
、《サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会》
である。(舌を噛みそうな名だ。いや、実際噛んだが・・・)
【写真:5】

後から聞いた話だが、ツアーの中の何人かも、自由行動の時間にこの『最後の晩
餐』を見に行ったらしいのだ。
だが事前の予約が必要であった為、入り口で泣く泣く追い返されたとのことであ
った。
幸い、わたし達は日本で予めここの予約を取っていたのでスンナリ入れた。(バ
ンザ〜イ!)

社会の教科書でしか見た事のない『最後の晩餐』の実物壁画といよいよご対面ー
!!(ドキドキ)

・・・感想は・・・。・・・いや、聞かないで下さい、感想は・・・・・・・・
・・・・・・・・。

というのは、なんかこう、今ひとつピンッと来なかったというか・・・。心に響
いてくるものが無かった・・・と言うか・・・。
それは、私に絵心が無いからであって、決して壁画のせいにしているわけではな
いが・・・。
思ってたより、全体がぼやけて薄くてパッっとしない。所々、長い歴史を感じさ
せる、欠けてる個所もあったりして。
まぁ、年月を考えればそれはしかたがないし、それが良いっちゃぁ良いのだろう
が・・・。

現在に至るまで、修復に修復を重ねた事と、その当時としてはまだ珍しい油絵だ
ということを聞いて、「へー、すごいね」と思ったが、
こんなにも偉大な世界遺産を前にして、わたしの感想といえば「へー、すごいね
」の、ただ一言であった。
なにさっ!人それぞれさっ!
だいたい、美術館に来る人の多くはみんな芸術家じゃぁないのだから、「心にビ
ンビン来て感動しまくって涙ちょちょぎれたぜ!」
って人なんかいないさ!わたしだけじゃないわよね?この気持ち。

というわけで、期待しすぎてなんかちょっと拍子抜けしてしまった。いや、決し
て壁画のせいにしているわけじゃないが・・・。

(しかし、この無感動、無気力、無関心さはこの後もいろんな美術館を巡ると共
に常にわたしに付いてまわるものとなった。)

夜、ホテルで再びツアーの人たちと会った時、皆して『最後の晩餐』の感想を聞
いてきた。(あ〜、お願い。その件には触れないで!)
「とっても良かったですよ〜」等と適当な言葉を並べつつ(あぅ〜、もうわたし
を解放してくれぃ!!)細かな説明は全部友人に任せた。

ツアー客の中で『最後の晩餐』を見れたのはわたし達だけだったようだ。
皆、目をウルウルさせながら羨ましがっているのを見てわたしは、「そんな、た
いそうなもんじゃなかったですよ。なんだったら
代わってあげればよかったですねぇ」と心の中でつぶやき、でもちょっとした優
越感に浸っていた。

ところがところが・・・。これは後日談なのだが・・・。
日本に帰って来たわたしは、あの時『最後の晩餐』をちゃんと見なかったことを
非常に悔やんだ。
というのは、荷物の整理をしていた時、あの時買った『最後の晩餐』のポストカ
ードがガイドブックの間から出てきて、
「あ〜、行ったっけ、そういえば」と軽い気持ちで手に取って見たら、心臓が口
から出てしまった。
と言うのはオーバーだが、心に衝撃が走ったとでも言っておこうか・・・。つま
りそれくらい感動してしまったのだ。今更。

あんな広い壁に、細部に至る13人の顔の表情までも丁寧に書き上げ、年月を重
ねるにつれ痛みが激しくなり修復を重ねる事を
余儀なくされてもそれでもなおかつ油絵にこだわり(フレスコ画より油絵の方が
多種多様な色が醸し出せる)、ダ・ビンチって
なんて凄いのだろう、とそこまで一瞬のうちに考えていた。
・・・信じてないでしょ?この話。ホントなのよこれ。マジマジ。

とすると、あの時のあのガッカリ感は一体何故なのだろう。
実物に幻滅して、ポストカードで感動するわたし・・・。

やっぱりわたしは何も分からない、芸術なんかとは程遠い、絵心のカケラも無い
、無知なバカだったのだ。ショーック!!
(壁画のせいにしなくて本当に良かった)