悲しい里帰り・・・


 へんなタイトルではじまった。私はつい先日1年ぶりの里帰りをしたが、正直言って今回の帰省はいいことなんてほとんどなかった。そこで普段滅多に書かないことだけど、ちょっと聞いてもらいたいと思います。

 9月3日、午前中の便で東京を発った私は、1時過ぎには札幌駅についた。その日は札幌も暑かった。暑いとはいっても、湿気のないただの太陽だけの暑さで私にとってはさほど気になるものではなかった。まずは大きく変わった札幌駅の周辺の様子をゆっくり見て歩き、私の古巣、珈琲館札幌北口店へと向かった。しばらくいろんなことを話した後、夕方実家へと帰ったのだ。

 家のドアを開け中に入るといつもの声が聞こえない。いつもの声と言うのは私の母の声だ。真っ先にママの彼氏が私に声をかけてくれた。おかしいなと思いながら部屋に入ると、そこにママはいた・・・・・しかし、私に声ひとつかけてくれない。瞳はどこを向いているのかもはっきりわからないし・・・

 このことを少しさかのぼって説明すると、ママは2年ほど前からうつ病気味だった。昔からすごく心配性で神経質な面もあった。それがそのくらい前から、なにがきっかけかはよくわからないが、だんだん重くなって病院へ通いだした。そして、去年くらいからはご飯とかも作れなくなっていた。毎年毎年、私が帰るたびに私の好きなものを作っては食べさせてくれたのだが、だんだんとその気力は落ちていったようだ。

 しかし、今回ほどの症状にはびっくりした。まず帰っても私が帰ってきたのかどうかもわかっていないように感じた。彼氏が言うには、8月の25、26と出張に行って帰ってきたら今回のような症状になっていたというのだ。その症状というのは、とにかく音に敏感になっていて、誰かが冷蔵庫を開けただけでも、起き上がってそれを見る。ゴミを捨てに行くだけでもその行動を見つめる。さらに水道を出したら、うるさいと耳をふさぎ、テレビはつけない。つけたらすぐ消すというのだ。窓は一切開けないし、私が窓の前に立ったら、外に見えると恐れる。多分普通の人の数倍から数十倍の音の聞こえ方になっているのかもしれない。

 とにかくショックだった。この間まで元気は以前のようにないにしても、普通に話していたからだ。行った日はママに声をかけることが一度もできなかった。二日目も家のまえでやっている工事の音に異常なまでに反応する。頭を抱えて苦しんでいる。そして誰かが見ている、そうしきりにつぶやく。数日前までは彼氏と毎日いろんなお風呂に出かけていた。なぜならママの彼氏は大きな風呂好きで、家のお風呂には入らず外に入りに行っていたから。でもあるときを境に、外出もしなくなったママは、お風呂にも入ろうとしなくなったという。お風呂にいこうといっても行かないの一点張り。そして一日中、ボーっとしていたり、敷いてある布団に横になったり、家の中を歩き回っていろんなドアを開けたり・・・

 病院の先生が言うには頭がおかしいわけではないというのだ。それがうつ病の症状だとのとこ。でも私にはそうは見えない。だって急にそんな姿を見せられたら、だれだって受け入れるまでに時間はかかるものだ。さらに困ったことに彼氏は仕事に行けないと言う。仕事に行こうとすると、包丁を持ってきてそれを阻止するのだそうだ。そして3日目、今日は私が家にいるからだいじょうぶだろうということで、久々の仕事にでかけようとしたのだが、家を離れたはいいけど、何度も電話がかかってきて仕方なく引き返してきた。家に戻った彼は病院の先生に電話をかけた。すると、今は自分で命を落としてしまう危険性が大きいから見ててあげてと言われたらしいのだ。

 そんなママだけど、ある日一日少し調子がいいことがあった。完全じゃないけど、会話はなんとなくできる。私は歌を歌い始めた。彼女は歌が大好きで昔からよく歌っていたから。すると口ずさみ始めた。歌詞は忘れているところもあるけど、歌っていた。昔の話をすれば少しはよくなるかもしれないと、私は一生懸命話し掛けた。時々うわのそらになることや、記憶が飛んでるようなこともあるけど、思いつくことは全部話した。私は、ああ、このままよくなっていってくれないかな・・・と願った。でもリズムが激しすぎて、いいと思ってもほんのひと時だった。

 でも生活スタイルはやはりかわっていない。彼女の神経質さ、ちょっとでもタバコの灰がこぼれれば即座に処理する。ゴミを私がテーブルの上にちょっとでも置けば、数秒もたたないうちに捨てに行く。そして、まともなときは辛口をきいたりする。

 結局帰る日も、ママには私が帰るのかどうかわかっていたのかという疑問が残る。すごく悲しかった。いつもなんだかんだ言っても食事を出していたママが、逆に無理やり食べさせてもらってる。がりがりに痩せて顔には力もなく。だから私の食事も最悪だった。初日は彼氏が切ってくれた『イカ刺し』を食べていたが、その後の食事と言ったら、となりの食堂のものや、お茶漬け、カップラーメン・・・。カップラーメンをすすっていると涙が出そうになった。こんなの前のママが見たら許すはずないと・・・

 妹とも寝る前に母のことについて話していた。いろんな話をしてて私が「ママかわいそう・・・」というと妹はいきなり布団をかぶって泣いていた。多分彼女もつらかったのだろう。こんな数日しかいない私でも、こっちのほうがおかしくなると思っていたのに、毎日顔をつき合わせている彼女はさらに精神的に大きな負担だったんだろうな。

 うつ病は治るのにすごく長い時間が必要だと言われている。3年、5年、人によっては10年・・・気が遠くなる。でもやっぱり昔のママに戻ってもらいたい。思い出されるのは中学生の時、私がいろんなことに悩んでいる頃、食べ物とコーラを持って私の部屋にやってきては、一緒にタバコを吸いながら何時間も話したこと。そのときに一番私のことを心配して、何があっても大事だと言ってくれたこと。きっぷのよい、男勝りでいつも子供たちに愛を与えてくれるそんなママに・・・いつもポジティブに行動しているつもりの私でもさすがに今回はへこんだ。このことだけじゃなくて、良くないことが今回の帰省でいっぺんに降りかかったのだ。みんな何かに病んでいた。人間そんなこともあるよ、と自分に言い聞かせても、一気に押し寄せてくるものにはさすがにつらい。

 私は今回、こんなことは書きたくなかったんだけど、いろんな人から里帰りの感想を求められて、その度に適当に当り障りのないことを答えて、でもその都度思い出すことにちょっとつらくなっていたから書こうと思った。だからそのとき、天気の話しとかでごまかして答えた人たち、ごめんなさい。しょっちゅうママのことを考えるけど、私は毎日普通に働いてるし、日々時間はどんなことがあっても流れつづけているのでだいじょうぶです。