奴隷じゃない!



 さぁ、今まで書きたかったことでなかなか書く機会がなかったがやっと書けるときが来たようだ。といっても別に何があったわけではないけど・・・

 世界中には職種に対するランク付けが厳然として存在する。もちろん日本も例に漏れずそうだ。さらにその中で私のしている仕事に関しても例に漏れない。知っているひとも多いと思うが、私はコーヒーショップで働いている。それは初めての仕事で、途中夜の仕事と多少離れていたこともあるけど、ずっとそれに携わっている。

 なぜこの仕事をしているのか?そして始めたのか?はじまりはもしかしたら手軽にはじめられるという理由だったかもしれない。でもそれを続けるのはなぜなのか?と考えたとき、人と接することができる、それが好きだからというのが多分自分にとっての一番の理由なんだと思う。

 しかし私たちの仕事というのはとかく低く見られるものだ。これは十数年やってきて否めないものだと感じる。それを始めたその昔、嫌な思いもたくさんした。ルノアールで働いていたときのことだ。例えばわざと”もの”を落として、そして私に「それ取ってくれ」と命令する。しかも一度じゃなく2度も・・・。さすがに私キレてしまった。ルノアールではホールの仕事だけではなく、カウンターの仕事もしなければならない。私は「私が作る!」とキッチンのほうを選び、最終兵器”きよちゃんスペシャル”をお見舞いすることにした。

 まずミックスサンドを注文されたのでハムを取り出す。そのハムを『ゴキブリホイホイ』にかかっている大小様々なゴキちゃんの中から最大のクロゴキブリを選びそいつにハムを食わせ、トッピングにつやつやの羽根のオイルをこすりつけ、トマトは下に落としてキッチンの床風味に味付け。レタスは三角コーナーのピクルスにして、最後にコーヒーは私のつば入り泡立ち『エスプレッソ風』にして美味しそうに出来上がり!それを運ぶとヤツはおいしそうに食していた・・・

 若気の至りとでも申し上げようか・・・(^_^;)そんな恐ろしいこともしたのです。でもそのときの話で今は行っていないのでお間違えなく!とにかく表面にだせないということでそ〜んな姑息な手を使って制裁を加えていたのでした。(あはっ!)

 時は移り変わりもうちょっと年を重ねてからははっきり言った。例えばさっきまで友達と楽しげに語っていたくせに私達サーバーがオーダーを取りに行くと不機嫌そうに「コーヒー」とひと言、これまたこっちが気分の悪くなるような言い方をする輩がいる。私はその学生らしき子に「コーヒーがどうしたの?言う方法があるんじゃないの?」と説教したり、外からタバコをつけたまま入ってきた人に、「すみません、一旦タバコを消してから入ってきていただけます?」と言ったりもしてた。なんて失礼なウェーター!サービス業の風上にも置けないとお思いでしょう?私もそう思ったときがあったの。

 私は客人に対しきっぱりと言うこともある。あることをやらせようとしたりしたら、「すみませんがそれは私たちの仕事ではないので」≪あれを取って来てくれ≫「あちらのほうからお持ちになってください」日本人はとかくサービスを勘違いしているふしがある。というより何をやっても良いと思う人もいるということ。でもそれは違う。どの仕事もそれぞれの範囲でできることとできないことがある。もちろんやればできるけど、それをやってしまったらその仕事に従事している人が質の低下につながる恐れもある。なぜなら゛奴隷゛じゃない限り従わなくてもいいことだってあるのだから。

 逆に、サービスを受ける気持ち、用意がある人には可能な限りサービスしてあげたいと思う。そういう人がいい状態になり、私もそれと同じ気持ちになり高まりたいと思っている。そういったとき、私は所詮サービスは人対人なんだなぁと感じる。

 でも、私の持論というのがあって゛私たちが私たちのルールがあるなら、客には客のルールというものがある゛私たちはサービスをしたいのに、サービスを受ける客側にその準備のないものがいる。知らない人間同士がひとつのお店で出会いコミュニケーションをとるのに、客は『俺は客だ、我が天下』という傲慢な態度の人たちが少なくない。

 今に至るまでも私はなめられないように、と頑張ってきた。私のいいところである姿勢がいいのを活かし、より背筋を正し、身に付けるものも頑張って購入した。当時一生懸命貯めてロレックスを買ったのだ。頑張った自分へのご褒美もあったけどさっき言ったような理由もあった。そのため私は何ヶ月もがんばって働いて貯金して、カードも使ったけど買うことができたのだ。

 人間ってのはつくづくゲンキンな生き物だと思った。ゲイだから飾るのが大好きな私だけど、それらを身に付け応対をするとがらっと対応が違う人間がいる。たったそれだけのことで見る目が変わるのだ。でも思うだろう、「こんな仕事でなんで買えるのか?」と思う者も。でも私は思う「そう、買えるのよ。私たちでも頑張れば買えるのよ。だから私たちをバカにしないでね」と・・・

 今回私の大人気ない、大人になりきれていない心と、意地っ張りなところを話してしまった気がする。毎日が戦争だと言ってる私。そう、でもそれもわたしなのだ。こんなちっぽけなのも私。でもそんなのもきっと毎日の私の肥やしになってるのだとも感じることがある。

 仕事にこんなのもあんなのもないのだ。みんな頑張ってやっていれば素敵な仕事なのだ。もちろん私の中で尊敬する職業があって、それに従事しているひとを私は尊敬する。でも会う人会う人、みんなそれぞれいろいろな仕事をしていて、初めて接する人だったりと、それは素晴らしいことだと思う。だってみんなその人じゃないと絶対に触れられない世界を持っている。いつもそれは刺激である。

 最後にこんな子供な私だけど、あるお客さんがこう言ってくれたことがある。
「君がここにいると、丸の内に来たって感じがするんだよね。がんばって」

 これは最高の誉め言葉だと思っている。それほど嬉しいものはない。まー、自分でも丸の内のクイーンって言ってるけど、象徴のような存在になれたらきっと私はそのとき朽ち果てていってもいいと思ってたりもする。

 笑ったり怒ったりすることもあるけど、毎日が自分にいろんな刺激として帰ってくるとしたら大変興味深い。本当に私は良いも悪いも人が好きなんだな〜。