ゲイの市民権ですって??




 ゲイのことについてちょっと考えたいことがあるの。よくゲイについてゲイが主張することがいろいろあるけど、私からしたらどうかなと思うことがあるの。
 それは、例えば最初ゲイの市民権というようなタイトルで始まったけど、市民権を与えろとか与えるなとかいう話しじゃなくて、ちょっとよく考えてみてってなお話し。

 世界中でかつてゲイの市民権を訴える運動があったり、毎年各地でゲイパレードが行われていたりする。まあ、パレードはショーみたいなところがあるからべつにどうということはない。
 それについては賛否両論があるかもしれないわね。でもこれは私の文章だから私の言葉で書かせてもらおうと思う。

 今回はそんな難しい話しを書くつもりはないのよ。でもね、あるマイノリティーを主張しすぎるってことはいかがなものかと思う。
例えば、私は中国語を習っている。もちろん中国人と身近に接することがあるし、仕事場の周りにはたくさん働いている。

 そこで、中国人がよく言うのは、「日本人は冷たい、友達になろうとしない」などということがある。
でもね、私はこう思うし言うの。「だったら自分が変わらなければダメよ。中国人はそう言いながら、結局中国人同士でかたまって行動するし、仕事でも中国人としかいないの。周りから見てそんな人に声かけられる?そんなの日本人だっていっしょ!例をあげれば、学生時代暗い子が暗い子達と教室の隅でかたまっている。もちろん逆の立場の子達も悪いのかもしれない。だってそれをかまわないんだもの。
でもね、なぜかそういう子は自分は違う、君たちとはね。っていうような見下した部分ももっているの。私の学生時代はそうだった。」

 これは一概には言えないことだけど、同じようなことはゲイにもその他の人にも言えることなの。
 ゲイの中には、表立っては冒頭に書いたようなことを言いながら結局ゲイとしか付き合わない。周りを馬鹿にして自分は、例えば新宿2丁目のような砦から叫んでいるだけ。中国人の中華街から出ないでその中だけで言っているようなもの。

 なにも、そういうところが悪いとは毛頭言うつもりはない。ある人々にとって聖域というのは必要なものだし、いや、誰にだって必要だしあるものだと思うのよ。
 でもそこに垣根を作るってことはいつまでたったってなにも変わらないってこと。いわば、差別をなくせ!と言っている人が一番差別をしているってこと。
その砦のなかで叫べば叫ぶだけ、逆に周りが意識をし始める。。なんて悪循環なんでしょう・・・。

 私はある人の発言でこれを書きたくなったの。その人が声高らかに叫ぶたび、「あなたは一生差別を受けるでしょうね・・・」こう思うしかなかった。
 私はすでに日本では認知されていると思う。これだって重く考えればそうじゃないかもしれない。でもそんなのどの世界だって同じことだ。

 外国のように“ゲイ”だからって殺されることもない。今は石だって投げられることもない。普通の人と付き合おうと思えばつきあいやすい環境だってあると思う。
もちろんゲイでいやなことに遭うことだってある。
それだって世の中にはいろんなやつがいる。それに腹立ったっていいからそれをわかるべきだとも思うのよ。だって聖人じゃないんだから頭にくることは仕方ないし、私だって思いっきり言うし。でも根底に意識があればとりあえずOKだと思うのさ。

 だから、自分らしく生きてればいいの。みんなと同じくなんて思う必要はないのよ。だって、
   違うんだから!ゲイは違うの!ノンケじゃないし女でもないの!

 最後にゲイの私が“ゲイ”の名誉のために言っておくけど、ゲイの中にたくさん素敵にそして自分らしく生きてる人っていっぱいいることも付け加えておきたい。

 みんな自分のなかでできることを探して、自分の許容範囲のなかでいろんなことと向き合っている人が・・・。だってみんなが同じような生き方はできないもんね。