記・笑・展・傑


私もエッセイらしきものを書かせて頂いて七編目になる。
「ライフスタイル」として今後一言づつ書くにあたって、
どうしても私の幼い頃の話しを聞いて頂きたい。
勿論、kiyoのエッセイ達が私を刺激して書きたくなったのだ。
長い作文の中から、4つご紹介。
「記(記憶)・笑(笑い)・展(展示)・傑(傑作)」とまとめてみた。
ご感想を心より待っています。


記(自覚している記憶)
 幼稚園時代 覚えているシーン
 幼稚園の窓ガラスが壊れていて、私は何のきなしに割れたガラスを指で触った。
 三本の指先から血が滲んだ。それを見た母は、貧血を起こし倒れたそうだ。
 今の私の記憶には、痛みが無い。そして何故割れたガラスを触ったのかも
 覚えていない。そう、手を切ったらお母さんがいなくなったという記憶だ。
 
 幼稚園の夕涼み会 皆 浴衣を着て輪になって踊る
 私の浴衣は、すそが長く 下駄で踏んだり引っかかったり 窮屈だった。
 今の私の記憶には、母のすまなそうな気持ちと
 新しい浴衣のすそが汚れちゃったという気持ちが残っている。
 
 どんなに思い出そうとしても、自覚している記憶はこんなもの。
 kiyoの記憶は、恐るべし・・・!

笑(微笑ましいこと)
 小学校時代 覚えているシーン
 一年生の教室で先生が「髪が短くて、目が大きくて、歯の無い子だ〜れ?」
 という質問にクラス中の皆が「ちかちゃーん」と答えた。
 注目される感覚。

 お誕生日に買ってもらった「ママレンジ」
 おもちゃなのだが ホットケーキが焼けるのだ。その同じ日にぬいぐるみも
 買ってもらった。お店の棚の一番上に飾ってあるウサギのぬいぐるみを
 選んだ。店員さんを呼んで取ってもらう時のこと。
 「ボクには、こっちの方が良いんじゃない?」とウルトラマンのぬいぐるみを
 薦められた。母が苦笑しながら女の子ですから…と言っていた。
 同じ店内で、ウロウロしていると知らないあばさんのひじが頭にぶつかった。
 「ごめんね、ボク」と言われた。
 
 そう私は、いつも男の子に間違われた。例えスカートをはいていても。。。

展(展示)
 (小学6年のノートより)
 「鳥になりたい」

  あれは3月のころじゃった。
  あの頃はやっとお日様が出て 暖かくなったときじゃった。
  ウサギがいっぴき散歩しとった。
  ウサギは一人ぽっちでの、空を見とった。この時じゃった。
  鳥の軍団がの、どっと飛んで行ってのう、ウサギは慌てて
  逃げたんじゃ。
  でも、ウサギは鳥がうらやましくってのう
  神様にお願いしたんじゃ
  「神様、一回で良いから空を飛んでみたい」と

  あくる日、そう朝じゃった
  朝だというのに 辺りがパッと暗くなっての
  鳥の先祖が現れたんじゃ その先祖はこう言ったんじゃ
  「これウサギ。そんなに空を飛びたいならば飛ばせてあげよう
  ただし、一日だけだぞ」
  そう言われたウサギは、よろこんだ よろこんだ
  と 同時に辺りはパッと明るくなった。

  その日一日は、もう眠れなかった。だから、目が真っ赤になった。

  ウサギは何日かして気が付いたが 手が鳥の羽になっていたんじゃよ
  ウサギは飛んだ 飛んだ
  一日中休みもしないで 飛べるだけ飛んだ。

  なんとなく辺りを見ると そこは湖だったんじゃ
  そこの森では見たことがない湖で 自分の死んだ父と母がいたのじゃ
  その時は、もう鳥の姿は消え 普通のウサギにもどっていた
  「おとうさん!」と叫んだら パッと何もかも消えてしまった
  それはみんな夢だったのじゃ。

  その後、ウサギは長生きをしてな
  ウサギは自分の見た夢を 皆に話したんじゃ
  不思議な事に その話しを聞くと 同じ夢をみるそうじゃよ


 これは、小学校6年の時の国語のノートに書いてあったものだ
 先生のコメントに「A すてきな話しね、本に出版したらうれるわねぇ!」
 ノートは、殆ど「ひらがな」幼い文字が並んでいる。この自分が書いた
 昔話しが 何かのマネなのか どう考えて書いたのか記憶が無い
 だだ ほめられて嬉しかったこと ノートをいつまでも取っておいた記憶は
 残っている。実家を建て直す際、昔の自分の押入れから出てきたノート。

傑(傑作)
 小学校時代の記憶は、こんなものだろうか?
 いじめっ子:もぶー
 むしゃむしゃ会:けんぼー、まーぼー、みー
 憧れのイラストを描く:由美子ちゃん
 漱石のひ孫:ちよ(弟はトヨくん)
 家出した子:池田くん
 秀才の子:大竹くん
 初恋の子:三瓶くん
 
 もう一人ウワサされた子がいた。わっくん、思い出した。
 わっくんは、転校生だったと思う。もぶーと友達だ。6?年生の宿題で
 俳句を作るのがあった。私は、俳句が思い付かず母につくってもらって
 ノートに書きとめた。その中の一句に
 「梅雨空や 道行く人の 傘の花」
 この句がわっくんと同じだったのだ。クラスは大騒ぎ。もぶーは、言った。
 「お前ら仲良く布団の中で一緒に書いたんじゃねーの?」
 母につくってもらったとも言えず、今でも不思議な事なのだが…
 わっくんに好意があった私は、恥ずかしくて、でも少し嬉しかった記憶がある。
 もぶーは、ともかくね!!

 そう言えば、恥ずかしいついでに、もぶーの誕生会に呼ばれた時のことを
 書いておこう。丁度10歳の頃は、皆「お誕生会」を開く事が流行っていて
 もぶーの誕生会に行った時のこと。私は、トイレに入ってカギを掛け忘れて
 しまっていたのだ。用を足している時、ドアを開けたのはもぶー(+_+)
 わたくしの美しい「もも」を初めて見た殿方は、もぶー あなたよ!
 勿論、次の日便所扱いの私。今だからこみ上げる笑い。間抜けよ、私。ふん!

いかがだったでしょう?
kiyoのエッセイに刺激され、自分のあらゆる記憶の破片をつれづれに
書いたものの一部を紹介しました。この幼い頃の記憶が今どの様に
影響して大人になって行くか・・・今後もどんどん展開して行く自分史。
続きが知りたいなって思って下さる方が一人でもいらっしゃれば
また、その頃のことをもう少し知りたいと思って下さる方。
どうぞbbsにカキコして下さい。お待ちしています。
今回、多少長い作文になってしまいました。お許しを!!m(__)m