PTAになって




我が子が小学校に行き始めて、母親としてはホッとする反面
最初の保護者会で気が重い「PTA役員決め」というものが必ずある。
P=保護者、T=教師、A=association 父母と教師の会である。
そうは言うものの、実際のところは・・・!

実際に自分が一学期に経験したことをお話しする事がとても簡単だと
思うので、私の個人的な想いが強くなる部分も多いが、言わせて頂く。

最初の保護者会、学校の教育方針や学年の学習についての説明などの後
役員決めになった。各クラスで自己紹介などの雰囲気とは違い集まった
母親は、一斉に下を向く。自主的に手を上げる人はいなかった。
勿論、私も役員は避けたいと思っていた。
理由はひとつ。人前に出て、話したりまとめたりするのが苦手である事。
出て頂いた方には、私は協力を惜しまない!そして文句は言わない!と
言うのが、私のポリシーだ。

担任の先生は、それとなく
「お子様が喜びますし、学校の様子も分かりますしね」などと勧める。
クラスの役員は2名、広報1名を決めるのに2時からの保護者会は、
4時半になろうとしている。一名の母親が引き受けてくれたにも
かかわらず、その後は全く静まりかえった状態。
と、具合の悪そうなお母様が口を開いた。「私は、先日まで○○という
病気で入院していまして、やっと退院しましたが、病院も通う事に
なっていてご迷惑かけてしまうかもしれませんが、やってみます」
拍手が沸きあがった。後は、広報の一名だ。
私は、その拍手が許せない気持ちになってしまった。もう、5時に
なろうとしている。私は、残りの広報に立候補した。

その後、役員達で別の話し合いがあり、家に着いたのは5時半だった。
働く母親が多くなって、出来れば避けて通りたい役員。ほとんどの
母親は、心と体の負担なのだ。
自分の子供に関しては、○×教室などの教育は惜しまない。けれど、
公的なボランテアには、全くと言って良いほど関る事を拒否するのが
現実なのだ。

皆自分の時間が欲しいのだと思う。皆誰もが「自分にはそんな大役出来
ない」と思っているのだ。私もその一人だ。

さて、広報部になった私だが おとなしくにこやかに先輩の指示に
従おう、なんて思いも吹っ飛ぶ広報部会議。
ほとんどの人が広報の作り方など知らない、部長さんも押し付けられて
申し送りの資料はあるけれど、訳が分からないものばかり。とりあえず、
昨年の一学期に出した広報と同じ内容でやってみようと話しは進む。
だが、しかし!何故、広報担当の先生がいないのだろう?
立派な報告書を作成して 目を通して頂くだけなようだ。
12人の広報部メンバーだったが、名ばかりで会議に出席しない方もいる。
広報誌は出来るのかな?私は不安に思った。

今回の広報誌を記事のページ担当制にして、2班に分かれて行動。
先生の紹介というページの方の担当に入った。4人だったので
会議は、いついつどこでと決めその当日皆集まる訳だが、誰も
案がないのだ、レイアウトの!仕方がない事なのだが、集まって
話す内容も井戸端会議に近い。何の為に集まったのか、貴重な
時間を割いて集まったのではないのか?ついに、アタシは化けの皮を
取って、皆さんの前で考えたレイアウトをササっと書いた。
私は意地悪なのだろうか?性格が悪いのかも知れない。でも、いつも
そういうパターンを経験しイヤな思いをしてきたのも事実なのだ。

そのパターンとは、自分が出来る事を積極的にこなし、皆で何かを作りあげる
という目的のもと、頑張ってしまう私。そう、三人分、一人で出来てしまうのだ。
勿論、全部と言う事はありえない。けれど、幸か不幸か作業はこなしてしまう。
そのような私が一番虚しく思うのは、例えば、ココはchikaがやってくれるから
こっちは私がやりましょう、と言うような「声の掛け合い」ともいおうか。
そう、その場の付き合いだけなのだ。悪気が全く無い。調子が良い。
初めは、自分に残る虚しさをただ閉まっておいた。
体よく使われていた方が気持ちが楽だった。

親睦とは、何なのだろうと思う。とめどない井戸端会議、それも時には
必要なこともある。でも、そう言った事は、私なら自分が選んだ友人と
したい。自分は、その種のおしゃべりが苦手だ。
リーダーが立てば、必ず話しがうまくまとまるとは限らない。
お母様方は、おしゃべりが大好きである。噂が好きである。文句が好きである。
集まった目的についてただ何となく話し合うが、具体性が無い提案である。
これが、中身なのだ。実態なのだ。
いくら便利な世の中になったとは言え、家事・育児・パート、その上の
PTA。負担になるのは、当たり前ではないのか?

誰もが億劫に感じること、でも心のどこかで「これくらいなら…」と
思う気持ちがあるとしたら、それには個人の差もあることも見逃せない。
非難しているのではなく、現実なのだ。
悪い表現をすると、負担の押し付け合いだ。
「出来る人がやれば良い」これって人間的に冷たい感じがするのだ。
口も出さない代わりに 何もしない。 
子供達の為じゃないですか!?PTAって!で、教師はどこなのさ??
今やPTAに携わる事自体、負担に感じる人が多い現実を理解して欲しい。

ここで、自分なりにひとつ掘り下げて考えてみた。
自分の気持ちも含めて考えて PTAに参加したいと思う方法はないか。
マニュアル化したらどうだろう。
作業の分担化、作業内容の簡易な方法、ある程度決めてあれば良いと
思うのだ。
そして、子供の入学と共に保護者がPTA会員になるのだから、全員が
何かをすべきだと思う。1年の任期ではなく、学期ごとはどうだろう。
と、いろいろ頭をひねってみたものの、やはりこれにも「まとめる」
人のチカラが必要だ。PTAの長い歴史、私程度の思い付きでは到底変えられない
ものがあるのだ。そして、私のような疑問を持つ人も居ないぐらい
皆さんそれなりに頑張っているのだと思う。要は、個々の価値観と言う事だ。
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(2001.9)
今回の広報誌を配布した際、アンケート用紙も配布した。皆さん、何枚その
アンケートが返って来たと思いますか?家庭の数で配布したので、約300強。
その回答は、5%くらい。そんなものなんですよ。