心のスタンス



中学の時からの友達、私の親友。
彼女は、私にとってかけがえの無い心の友である。

親友というと何でも話せて 許せてしまったり、
振りまわしたり、振りまわされたり、
幼い時分は何でも一緒に行動して ナンでも一緒なんて
思うかも知れない。気が合うお友達の感覚の究極のような。
学生時代を振り返っても 私達はそういう感覚は無かった。
出遭った頃から彼女とは不思議な心のスタンスがあったのだ。

中学の頃は、仲の良い子同士 休み時間におトイレに行く。
遠足の時は、同じお菓子を買ったり、お揃いの靴下だったり。
流行りのモヨウの付いた小物だったり…
その事が良い悪いではなく 私は、その類には入らない子供だった。
皆と同じっていうのがキライだったのだ。
中学1年の時、転校したのをキッカケに そんな自分の性格は
ハッキリしてきたように思う。
彼女との出遭いは、転校して間もなく入部した部活だった。
彼女は、幼馴染と一緒に入部したので私は半端な存在。
でも、部活を通して友情は深まっていった。
(ちなみに高校まで同じ学校だったが一緒のクラスになったことはない)

思い起こせば、もう20年以上の付き合いになる
そんな付き合いに共通している事。それは、小さな事でも
大きな事でも話すのは、事があって自分が落ち着いた頃ってこと。
例えば、高校生の時、私はラブレターを書いて渡して、見事にふられた。
当時、告白するなんて事は友達に相談したり、手紙を渡す時には
友達の協力体制があってするもの。でも、誰にも言わずに行動。
あ〜私らしいなんて今なら思うのだが、失恋の胸の内は
大分経ってから 彼女に話したことだ。
また、逆に彼女もそんな所があった。結婚前に同棲を始めた彼女。
知ったのは、引っ越した後だったり、お互いに お互いが驚く様に
話し始める、でも分かり合えている そんな友なのだ。

お互いにこの年齢になると抱えるものが大きくなる。
悩みも昔よりずっと深い。お互いの家庭もあり 複雑極まりない。
でも、半年間会わなくても その時間は一瞬にして消え
お互いのニュースで時を確認するくらいだ。
いつも「何で話してくれなかったの」って事は多い訳だが
今は、このスタンスが心地よい。
幼い頃からの付き合いで お互いが成長し それぞれの道を歩んでいる。
お互い負けずに 歩いている。困難を乗り越えて!

久しぶりに会えた時、彼女は私を喜ばせる。
笑わせるし、心配させるし、泣かせるし… で、いつも飲み過ぎる。
会った次の日は、辛い。でも、やってしまう私達。
老人になったら一緒に暮らそうと計画している私達。
今のいろいろなしがらみを捨てて 愉快に生きようってね。
ゆめの老後に想いをはせた所でお互いの生活に帰って行くのだ。

絶対に馴れ合わない友達。でも、そのスタンスこそ
最高の思いやりではないだろうか。

彼女を筆頭に私の心の友達は、一様にスタンスを持って付き合っている。
一様に自分の生き方を持っている。
ドライかもしれないが ステキな友達だと心から想う。
そしていつも忘れない、忘れられない存在感。
勿論、キヨも私にとって大切な心の友だ。

誤解がないように言っておこう
彼女との付き合いの中でいつも一緒のことは沢山あった。
自転車で学校に行ったり、お互いの家に遊びに行ったり
ケンカしたり、キライになったり、極々普通に。
感覚的な表現になってしまったので分かりにくいかもしれない。
ただ、いろいろな人との交流のなかで 皆と同じだから仲間とか
同じじゃないから不安とか そういったレベルを超えた関係は、
お互いの心のスタンスが大切だということが書きたかったのだ。
そう、「親しき仲にも礼儀あり」
心のスタンスの原点は、ここにある。
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2001.8.6(mon)
友達って本当に大切ね。
喜びを数倍にしてくれるのも、苦しみや悲しみを半分にしてくれるのも
友達だもの。そんな私の友人達に心から感謝しています。