ショッキングな一日





 私が小学校の頃、本当にしょっちゅう遊んでいたのは、このエッセイにも何度となく登場していた“くーやん”だ。以前に紹介したエッセイでも述べたようにあんなに嫌なことをされても、あんなに利用されても、あんなにおごらされても、やっぱりよく遊んでいたのは“くーやん”なのだ。

 他に友と呼べる者がいなかったわけではない、むしろ私を誘う友達はくーやんよりは多かったかもしれない。それでもくーやんとの方がフィーリングはあったのだ・・…。何のフィーリングがあったのかを説明しろと言われれば、なんとも言葉で説明することは不可能に近い。笑いのツボが同じというのはよくある話だが、くーやんとのフィーリングは少し異常性に富んでいるかもしれない。もちろん笑いのツボが類似していて、フィットするという点に於いて間違いはないのだが、彼女とは造語や言葉に対しての独特の捉え方がよく似ていた。

 例えば、昔(今でもあるが)お菓子で「ルマンド」というブルボンから発売の洋菓子があった。くーやんとの間では、何の話し合いもないのに同時に「ルマンド」という言葉は、でかいホクロのことだとイメージしては二人で大笑いしていた。このように、いったい誰がルマンドのことをホクロだとイメージするであろう。

 更に、これもなぜか意味不明なのだが「ドンバリキ」という言葉(造語)があった。でも二人の中では言葉の説明もなく、時によっては“一生懸命頑張る”時によっては“イライラする”とか“おやつが食べたい”“やっつけてやる”など、合わせると全部で10個くらいの意味があった。これほど数多くの意味を含んでいる言葉を間違えず使い分けていた二人はやはりすごい。英語なんかより100倍は難しいであろう。二人のインスピレーションが、これだけの複雑さも容易に理解できたのだろう。

 とにかく、普通の人間同士では到底理解できる次元ではないと思う。それはやはりくーやんとだからこそ通じ合えたのではないか。だからどんなに意地悪されても一緒にいられたのだと思う。いつもの、余談をダラダラと何行も書きすぎたが、これより本題に入りたいと思う。今の今まで己の記憶から抹消することのできなかった出来事だった。

 それは小学校6年生の夏休みの暑い盛り、前の日にくーやんが、「明日10時にキヨの家に遊びに行くからね」と言っていたにもかかわらず、10時になっても10時15分になっても一向に来やがらなかったので仕方なく迎えに行くことにした。

 というのも、夏休みの間はいつも10時くらいに会って、10時半から夏休みアニメスペシャル「ドロロンえん魔くん」と「ゲゲゲの鬼太郎」と「バビル二世」を見るのが約束であり、毎日の日課であった。昨日くーやんはあんなに「あー今日の続きが気になるー!ぜーったい見逃せない!!だからキヨ!寝てたりなんかしてたら許さないからね!」と私に威圧を与えるかのように豪語していたくせに、一向にあらわれないくーやんに対しての怒りと、同時にもし他の子と遊んでたらどうしようという妙な不安感にかられていたのだ。幼い頃の私は、いつもそのようなことばかりを気にする気の弱い子だったのだ。(今からは考えられないことだと思う)

 そんな気持ちを抱えながら、歩いて10秒もかからない、走って3〜4秒という距離を5分も10分も、まるでいかれたピンボールのように行ったりきたりをくりかえしていた。

 だが時刻はすでに10時28分、「ドロロンえん魔くん」開始時刻の2分前だ。いよいよをもって向かわなければならない時が来たのだ。勇気を持って道路を挟んだ斜め前のくーやんの住むアパートへと足を踏み出した。

 8秒後恐怖の地獄城 “くーやん家”に到着した。取りあえず、放送開始までわずか1分足らずしかなかったので即座にピンポンを押した。けれども反応がない。十回くらい押したのだがやはり何の応答もない。玄関の鍵が開いていたのでドアを開けて玄関に入った。

 玄関といっても、人一人立てばもういっぱいというような狭い空間で、靴ははっきり言って3足までしか置けない。なので、くーやん家に友達は一回に一人までしか入ってはならないというおかしな決まりがあったのを憶えている。

 正面から入って玄関に立つと、左に茶の間への扉、正面にはトイレの扉がある。廊下や踊り場らしきものは当然なく、どちらのドアも立った位置から30cmほどのところにあり、トイレのドアを開けるとき、仮にそこに人がいたら一度外に出なければならない。

 それはともかく、何度押しても出てこないのである。しびれを切らして居間に通じるドアを開け、そして何度も呼びかけた。子供の時には、独特の呼びかけ方があった。地域によって違うかもしれないが、学校の教室とかでいじめて泣かせた時など、
 
 「泣―かせた泣―かせた せーんせいにー言ってやろ♪」というメロディーがみなさんのあっただろう。そんな要領で「くーやん遊ぼー」、とメロディアスな調子で呼びかける。などと言っただけでは無論理解していただけないかもしれないが、とにかく何度も何度も呼びかけたのだ。

 そして、すでに針は10時半をまわり「ドロロンえん魔君」は放送の時を迎え、くーやんと共にそれを鑑賞するのが不可能となり、絶望感を抱きながら家路に向かうことを決め、向こう側に開いた居間のドアを閉めるために、トイレのドアノブに手をかけ自分の体を支え閉じようとした時、同時に便所のドアが開いた。その瞬間見てはならないものを見てしまった。
 
 和式便器にくーやんがまたがっていたのだ。その当時あったスタイルで一段高いところにある便器にのぼり、ケツをこちらに向けた彼女と目が合ってしまったのだ。驚きで声も出ない、さらにその瞬間、私のほうに向けたくーやんのケツから黒くて長いものが切れて便器の水面(みなも)に解き放たれた。 

 「ポチョン〜」…・・・

 ショックのあまり、私は金縛りにかかったかのように大きく見開いた目も閉じれず全身が硬直して身動きがとれない。たぶんそれはドアが開いてわずか2秒か3秒くらいだったの出来事だったんだろうが、私にとっては5分にも10分にも感じられた。

 頭の中は踊るポンポコリンである。もうわけの分からない生き物たちが私の頭を勝手に借り演奏をはじめている。もう何が何だかわからなくなっていた、皮肉なことに現実の世界へ引き戻してくれたのは当の本人“くーやん”であった。

 「やー、きよーなにやってんのさー閉めてやー!」その一言で私は一目散に逃げ出した、まるで人殺しからでも逃れるように走り出した。私にはそのくらい、いやそれ以上の事実であることに間違いはなかった。

 帰宅してから私は震えが止まらず、母の質問にも答えず一人で部屋の中に閉じこもり、ずっとうずくまっていた。あーもうだめだ、もう友達ではいられない、道であっても目も合わせられない。そんなことを考えながら頭を抱えていると、母が居間から『くーやん来たよー』と叫んだ。

 私は「ああ来てしまった、とうとう来てしまったと。きっと文句を言いに来たのだ、絶交宣言を言い渡しに来たのだ」と恐怖におののいていた。隠しきれない動揺で彼女を部屋へ迎えると、私はいつ『絶交』の二文字が発せられるかと恐怖に震えていた。すると彼女は驚くべき言葉を発した。
 
 「きよー何でさっき帰っちゃたのー?恵子待ってたんだからねー」〔はぁ〜!?あんたは何を言ってやがるんだ〜?あんたは昨日、明日の10時に私の家に来るって言ってたじゃないか!それにあれが私を待つ体勢か?〕私は心の中にかすかな憤りを感じたが、まだ恐怖心が残っていたこともあり、控えめにたずねてみた。

 「だってくーやん来ないから、心配して家に行ってみたんだよ。そして何回も呼んでみたけどくーやん出てこなかったしょやー」。するとくーやんは、「うそ〜そうなの〜?全然聞こえなかったんだー」と言いのけた。
 
 この女は一体何を言ってやがんだ、広いお屋敷じゃあるまいし、ましてや私から30cmも離れてないところで聞こえないはずがないじゃないか。私はさらに怒りを感じ、多少気を使いながらも核心に迫ってみた。「ふ〜んそうなんだ、でもたまたまドアが開いちゃったらあんなことに…」嗚呼、言ってしまった。するとくーやんはこう言ったのだ。

 「あ〜恵子あの時トイレ掃除してたんだ〜だから聞こえなくて、そんでやっと気づいたらキヨ行っちゃうんだも〜ん、恵子腹立ったしょや〜」。  “しょやー”は北海道弁の感嘆詞みたいなもの。

 なんなのーあんたはー!?なんであんたはそう平然と言ってのけられるのか。私にケツをむけて、派手なロングくそ切りショーを披露したくせに、でかいケツをさらしながら何が掃除だ。おまえはうんこたれだ!。と言いたいところだったが、もちろん口に出来なかった。私は後にも先にも、人様がウンコをしている姿を見たのはくーやんだけだ。

 それにしても、彼女はどのような生物なのであろう。用を足している姿を見られたのにもかかわらず、掃除だと言いのけ、またその表情にはかすかな曇り一つ感じ取れない。とすると、私が見たものは一体全体なんだったのか。それともくーやんは、お尻の穴からトイレマジックリンでも出し、便器の上に塗布していたとでもいうのだろうか。だとしたなら、やはり彼女はタダモノじゃない。

いずれにせよ、近年は洋式の便器が増えてきて良かったと思う。それは、少なくともあの瞬間を見なくても済むからだ。それにしても、記憶と言うのは残酷にも薄れることを知らない。

(p) 1998.10