等身大



 この間、私は久々に屈辱的な思いをした。

渋谷で飲んだ帰り途中まで友人と一緒だったので楽しく話しながら電車に乗っていた。
友達は乗り換えのため途中の駅で降りていった。そして私は一人になり夜の車窓からの
景色を眺めていた。

すると、その窓に一組のカップルの姿が映った。どうやら私のことを見ているようだ。
私は何も気にせずにいたが、少したってもずーっと見ている。私はその者どもに目をや
った。そうするとそのカップルはさっきにも増して私のことをじろじろ見ながらお互い
に耳打ちしあっていた。とても意地の悪い目であきらかに悪意が感じられた。私はゲイだ。
しかも私は言葉も普通の男と違うし雰囲気や身振りなども違うかもしれない。

もちろん私はそれについて自分でわかっているので、人に対して普通の一般の人と同じ
ように見てもらいたいとはこれっぽっちも思っていない。そう見られたいなら、言葉も
話すことも身振りも男っぽくすればいいと考えている。

だが、そのカップルに対しては久々にメーターが振り切れた。ちらちら見たり噂をした
りするのは普段全然気にならない。近くで聞きなれない言葉や、私の表現を目の当たり
にしたら気になるのも当然だろう。しかしその二人は他の人たちと違って、あきらかに
意地が悪くまるで小学校のときのいじめのようなそんな感じだった。

その男はいまどき珍しい汚いロン毛にガングロ下品なガムの噛み方、立ち振る舞い、一
目で頭の弱さが感じられた。女はと言うと、かわいそうなくらいブサイクだった。共食
いされた金魚のようなつぶれた顔に、似合っていないメイクが施されていた。橋幸男(
夫?)のような目に鮮やかなグリーンのアイシャドウがブサイクさにさらに彩りを添え
ていた・・・。それに唇も「冷蔵庫に1ヶ月くらい入れておいた腐った明太子みたいよ〜」
ってくらいコーディネートのわるいメイクだった。

なにも顔のことだけについて言っているわけではない。一人のものに対してそのような
行動を起こすことが頭悪いように見えるし、ブサイクに磨きをかけてるという意味もあ
るのだ。

私は許せなかった。何も悪いことをしているわけでもなく、一人でいるものに対してそ
んなことをすることが。しかも私にわざと気づかれるように大きなアクションで、私が
それに目をやってもさらにパワーアップして静かな攻撃を仕掛けてくることが・・・。
私は考えれば考えるほど腹が立ってきて、そのカップルのことを全身全霊の力をこめて
見つめた。少しも視線をはずさず凝視し続けた。私はあんた達に何も悪いことはしてい
ない、そんな根性悪許さないわよ!ってな感じのメッセージをこめて。

私が30秒、いや1分くらい視線をはずさないでいたら、二人は二度と私のことを見な
くなった。それどころか今まで何にもなかったかのように逆の方向を向いてのんきに会
話を始めた。それでも私はやつらから視線をはずさなかった。
するとそそくさと次の駅で降りていった。これは別に私に関係なく本当にその駅で降り
る予定だったのかもしれない。しかし私は気がおさまらずどんどん遠くなっていく二人
を見つづけた。そしてそれは私のプライドだったのかもしれない。

そんなことをして相手が悪ければ何をされていたかわからないが、弱々しく黙っている
わけには行かなかった。私がもしそうしていたらもっと屈辱的な心境になり、あいつら
は次回も同じことを繰り返すだろう。

私は決してそんなことに負けたくなかった。彼らはきっとこう思っていたのだろう。私
は友達と別れて一人になった、こんな一人の少数の人種は自分達がこの一人の“オカマ”
に向かって中傷的な目線を向けてひそひそ話でもしたら必ずひるむだろう・・・と。こ
れは典型的な日本人のいじめ方だ、自分達と違うもの、そして一人の者に向かって行う
極めて陰湿な代表的な行為だ。

しかし相手が悪かった、私はひるまない。人に対して、そして自分に対して恥ずべき生
き方をしてきてはいないし、中傷される覚えもない。もし私に対してなにか問題がある
なのならその場で堂々と言えばいい。そうじゃなければ私の世界に踏み込む必要はない。

私は今、可能な限り等身大で生きている。生き方というのはその時その時で変わるもの
だが、その中で可能な限りと言う意味だ。そしてここでいう“等身大”とは今のままの
自分と言う意味もあるが、本来その人が持っている自分自身ということだ。もちろん私
だって人間だから全部が全部自分を表現したり、思い通りの生き方ができるわけではな
い。私個人の意見だが、そのときの自分に嘘をついてまで過ごしたくはないと思ってい
る。

だから、もしゲイである自分に悩んでいる人や肩身の狭い思いをしている人、自分を表
現できない人がいたら、自分の許す範囲の中で少しずつ表す勇気をもってもらえたらと
願っている。(私ってすごいえらそーよね〜)

でもかなり昔、何も表せなくて弱気になっている自分がいて、毎日がイヤだった自分を
覚えている。しかし自分に嘘をつかなくなったときから全てが楽になった。不思議なこ
とに正直に物事を伝えて嫌悪感を示されることはほとんどなかった。逆に嘘をついてい
るときのほうがことをうまく運べなかった。

“等身大”とは自分を素敵にしてくれる。そしてまた新しい人や物との出会い、これか
ら向かう自身の方向もナビゲーションしてくれるものだと思う。なーんてかたっくるし
く締めてしまった・・・あーあ、こんなこと言うようになったらほんとに自分の年を認
めないといけないのかしら・・・(-_-;)

でも・・・、あのときのバカップル!今度あったら焼却処分にしてやるわよ!
おぼえてらっしゃい!
ふんっ!!