セミヌード決着



 昔から私は、出会う人々とケリ(決着)をつけてきた。いや、私だけではないだ
ろう。私と同じようにゲイであることを示して生きるゲイにはそのようなことが
あるのではないか・・・

 決着というと少々大袈裟に聞こえてしまうと思う。ではケリをつけるとはどう
いうことなのだろうか?それは性というか属しているものを相手に伝えなければ
ならない。普通なら言わなくてもいいことだ。もし私が一般の男なら伝えるべき
ことは何もない。人と会ってそのあとは自分を感じ取ってもらえばいいだけのこ
とだ。もう今の私にとっては昔の話しではあるが、以前は本当にはっきり決着さ
せるという言葉がぴったりだった。

 はっきりさせなかったがために後々居心地の悪い過ごし方をさせられるという
ことがあったからだ。それは自分を表さないことで相手方には何の情報も伝わら
ず、女がらみの話しをされたり、女を紹介するだのしてだの・・・とにかく自分
の中に何の情報も価値も見いだせない話しをされ、どんどん萎縮していく。それ
を回避していくには自分から示していくしかない。相手に誤解を与えないように
するためにも。

 私が日頃、『最初が肝心要』というのはこういうこともあるのかもしれない。
始めに自分の立場や考えをはっきりさせておかないと後からになって困る。私が
一番初めに、ゲイであることを言わなかったことで、私への違うイメージを持た
れ、そのイメージが先行していってなかなか次のステップに踏み出せない。そん
なことが多かったから「最初が・・・」というのが重要になったのかもしれない。

 でも同時に自分の確信を表すということは、新たな自分への責任や他人からの
見方も待っているということでもある。例えば仕事についてだ。私がゲイである
ことを他の人に認識された時から、これまた大袈裟ではあるけど戦いが待ってい
る。もちろんそれは私だけではなく、こうしてカミングアウトしているゲイみん
なが思っていることではないかと思う。

 ゲイだから・・・と仕事的な意味で差別はされたくない。そのためには、人の
3倍がんばらなければならない。どんなときもそうだ。普段比較的ちゃらちゃら
しているだけだと思われがちな私たちが、それを払拭させるには仕事の中で見せ
るしかないのだ。見えるところでも見えないところでも努力して、そして自分の
キャラクターも活かしながらやっていくしかなかった。少し意地を張ってやって
きたという感も否めないが、別にそれは自分自身嫌いではない。だから各業界に
いるゲイの人々が第一線に立って頑張る姿を見た時、力を十二分に発揮してきた
のだろう、発想もフル回転だったんだろう、人脈もいかしてきたんだろうと自分
の励みにもなる。

 始めのほうに言ったケリをつけるということは、相手との付き合い方を円滑に
するということだと思う。その始めのアプローチによって自分に合うかどうか、
相手方に合うかどうか、そして方向性をも示してくれる。仮に伝えた私が気に食
わないなら付き合わなければよい。決着させるのは最期だけではなく、ケリをつ
け結婚することにあるだろうし、ある今までの関係にケリをつけもっとつっこん
だ友達にあることもあるだろう。その逆でこの人とは一定の距離をもって付き合
おうと思うかもしれない。とにかくその時々の決着のさせ方があり、それはどの
人にも同じ事が言えるのではないか。もちろん本当の意味でケリをつけなければ
いけないときがあるかもしれない。でも最初にある程度の“ケリ”をつけておい
たほうがいいんじゃないかな・・・と感じる。

 私がよく自分で想うのは、人と会った時には『セミヌード』にならなければい
けないということだ。初めから、そしてしばらく経っても超合金のよろいでも着
ているのではないかと思ってしまう人がいる。どんなに表面上で合わせてうまく
付き合い10年たとうが、本気で3ヶ月付き合った人にはかなわない。真っ裸に
なるということとは違う。いろんな状況で裸にはなれない人もいるだろうし、な
る必要もないと思う。みんなそれぞれ、ある一部分見せなくてもいいことがある
と思うから・・・。ただ、完全な無防備ではないセミヌードが一番入りやすいん
じゃないかと思って過ごしてきた。

 私はこれからどのくらいの人々とケリをつけ、セミヌードになる回数があるの
かわからない。でもその度にヌードになったことに喜んだり後悔したり、何だか
んだいいながらもきっと楽しいだろう。きっと私は毎日その繰り返しを楽しみに
生きているのではないかとも感じることがある。