真夏の夜の夢




私は最近ショーを行った。それは約8年ぶりになるわけで、8年間のブランクを一気
に埋めたのは今年の夏だった。

最初は安易なことから始まった。あるクラブ通いする人たちとの飲み会があった。そ
こにはクラバーやDJなどが集まっていて、その中で毎月一度イベントを催すスタッ
フもいて、その一人に私の名刺を渡した。名刺には私のホームページのトップページ
に載せている写真が印刷されている。その写真は私がラスベガスに行ったときに、シ
ョーガールたちと一緒に撮った写真で、彼はそれを見て、
「今度ショーやってみない?この写真のようなイメージで、サンバカーニバルみたい
な感じでさ・・・」と言った。私は、
「うん、やるやるー。やりたーい!」と、どの飲み会にもあるようなその場のノリで、
軽率な返事をリピートしていた。

そのときは楽しく時間は過ぎていき、宴は“エンタケナワ”を迎えた。そして私はそ
んな話があったことを忘れていた。するとそれからちょっと経って一通のメールが届いた。
そう、それは『show』への出演依頼のメールだった。

私は一瞬「しまった!」と思った。というのは、私は現役を離れてからすでに時間が
経過してるということ、もうひとつは飲み会でのハイテンションなお手軽アンサーだ
った。私は早速返信した。興味があるということ、それと同時に先行きのわからぬ不
安があるという事。そしてさらに返ってきたメールで私はギョッとした。

「返事ありがとう!kiyo−kiyoならやってくれると思ったよ。近々ミーティ
ングをしましょう!」・・・・・・・いつのまにか完全に出演することになってる・・・
とにかくほかのスタッフとミーティングすることになった。すでに本番まで1ヶ月
余りだった。お互い何の情報も持たないので細かい話し合いができるはずもなく、
とにかく私の漠然過ぎるイメージと長年のブランクに対する不安がある旨を伝えた。

先方からもイメージを伝えられ、一本のビデオを渡された。「とりあえずこんなイメ
ージなの、見てみて」と。それはいいのだが、肝心な問題が残っていた。バックダン
サー二人が決まってなかったのだ。そんな問題が山積していたがとりあえず私はビデ
オを見てみた。

なるほど・・・、私のイメージとかけ離れていない。その瞬間から私の“エンターテ
イナー魂”に火がついた。振り付けのイメージも膨らんできて、早速とりかかった。
それから昔(小学生の頃)から実施していた方法が自然に現れてきた。

それは、“バーチャルカメラ”だ。その日から、リビングに3台、自分の部屋に2台、
寝室、浴室、キッチン、トイレに各1台ずつのバーチャルカメラが取り付けられた。
“バーチャルカメラ”、それは当然存在しないカメラ。自分の中だけで存在している
カメラだ。振り付けのたびに私はプロデューサーとスイッチャーになって、カメラの
パンや切り替え、更にクレーンで吊るされてるであろうカメラワークまでしっかり自
分の中で出来上がっていた。

どうしてバーチャルカメラかといえば、小さい頃から芸能人になろうと思ってた私は、
なぜ芸能人は日に日にその全てに磨きがかかってゆくのだろうと考えていたが、結論
はカメラにあると思った。カメラの存在によってその容姿、立ち振る舞いまで変えて
しまう。だからバーチャルカメラは私の人生の中でしばしば出没する。

それは結果として良いのだ。自分の立ち位置を決めることによって、人からの見え方
が客観的にわかり、結果最後は自分も口角筋やその他顔面の筋肉の発達で美しくなる
といった一石二鳥の効果がある。
そして、初の練習の日がきた。初練習であると同時にバックダンサーとの初顔合わせ
でもあった。すでに一ヶ月をきっていた。私は内心焦っていた、こんなんで本当に大
丈夫なのだろうかと・・・。

顔合わせして、そくデリバリーのピザをほうばり、その数十分後には稽古開始といっ
た超過蜜スケジュールだった。私はそのときも大丈夫なのかと思っていた。時間はな
いし、ましてやショーの経験のない人が踊るなんて、まるで今までその辺で普通に遊
んでた子を無理やり有名私立幼稚園の面接に連れて行くようなものだと・・・。でも
短い時間の中で進むにつれ、なんとか形になりそうだと思った私は、帰宅してから更
にイメージを膨らませることができた。バーチャルカメラもその日から倍に増えてリ
ビングではまるで『マトリックス』の撮影でもするかのごとく、各ポジションでひし
めき合っていった。

あと練習は2回しかない。その後もう一度稽古があって本番の5日前、最後の練習兼
衣装合わせ兼通し稽古があった。振り付けや細かいことが出来上がっていって私はほ
っとしていた。
のもつかの間、時間の都合で一回しかできない通し稽古でトラブルは起こった。衣装
替えの際、予定していた時間を大幅に過ぎてもチェンジできなかったのだ。なかなか
できない中、やっと着替え終わった私は気持ちを切り替えて次の曲に臨んだ。私は本
番と同じような気持ちで一生懸命踊っているときに、更にトラブルは容赦なく私に降
りかかってきた。

最後の締めである“山本リンダ”を踊っていたとき、それは起こった。

プチーン!!________________________ はいていたパンタロンのホックが飛んだ。
私は焦った、でも通しだったため途中で止めることもできず、私は踊りつづけた。し
かし、ホックのとれたパンタロンではそう長いこともつはずがない。

 どんどんリズムといっしょにチャックが下りてきて、ズボンもずれ落ちてきた。と
うとうしまいには下まで降りたため私はパンタロンを脱ぎにいった。そしてすぐ戻っ
てきて、私はパンツ一丁でフィニッシュを迎えたのであった。

「きゃ〜、このままじゃ私はきっと観衆の目の前で赤っ恥をかき、みんなに嘲笑され
るに決まってるわ」「しかもあんなに遠くまでホックが飛ぶことないじゃな〜い・・
・」と思ったが仕方ない。本番をやり遂げるしかないのだ。
いよいよ当日、プロのメイクさんの協力でメイキャップしてもらうことになった。
すばらしいメイク道具を前に「私ってシンディクロフォード?」と思ったりもした。
2時間半時間をかけ、終わった私たちは急いでお店に向かった。すでにお客さんもた
くさんいて、自分でも高揚してくるのが敏感に感じ取れた。

そしてほどなくショーの始まりのときを迎えた。私はもう何も考えていなかった。自
分の体がおもむくままに、そしてバーチャルカメラに仕込まれたようにやることしか
頭になかった。

衣装チェンジはというと、何の問題もなく、逆に余裕さえあったほどだ。リンダのと
ころではホックが飛ぶこともなく、ノリに乗った私は最高潮の時間がそこにはあった。
お客さんの熱い声援の中、私たちは堂々とそしてきらびやかにフィニッシュを迎える
ことができたのだ。あのアドレナリンの分泌量は今でも鮮明に覚えている。

そうして私の短い短〜い夏は終わっていった。あの体にズンズン響いてくるリズムに
スポットライト、忘れてしまうには相当の年月を要するだろう。

最後に、私の『ショービジネス魂』を再燃させてくれた“Frasco”スタッフの
みんな、ヘアメイクさん、声援に駆けつけてくれた人達、その他協力してくれた人達
へ私のあつ〜いくちづけと謝意を送りたい。
また、機会があればぜひやってみたいものだ。ちなみに今でも振り付けはひとつたり
とも忘れてはいない。真夏の夜の夢が夢ではなかったということだ・・・。