カミングアウト〜ゲイ履歴書〜
               part9 最終章-ふたり暮らし-




 とうとう東京へやってきてしまった。あっという間の時だった。

 しかし、突然にやってきたのはいいものの仕事をしようにも、なかなかなかった。
これというものもなかったし、決まらなかった。私は一ヶ月なにもせずにただ毎日を
過ごした。最初の1〜2週間はそういう生活もいいんだけど、それを過ぎると不安だ
けがつのってきた。彼から生活費をもらって毎日買い物に行ってご飯を作る。無論そ
んな生活に耐えられるはずもなく苦痛に変わっていった。

 でもやっと今の仕事が見つかりほっとしていた。そんな中ここで書くのもなんだけ
ど、彼と1年ぶりのセックス、そして最後のセックスを1度だけしたのだ。でもこの
ときお互いに“最後のエッチ”だということがわかった。二人とも笑ってしまって本
当に最後まではできなかったのだ。そう、もう違う何かになっていたのだ。本能の赴
くままで行うはずだったものに『情』というものが介入してきてしまった。二度とそ
ういう気分になることはなかった。もし無理にそういった関係をつくらなきゃいけな
いと思えば壊れていたかもしれない。

 話は元に戻すが、新たに始まった生活は順風満帆ではなかった。私が懸念していた
ことがひとつひとつ現実になっていた。彼が札幌から東京へ行くとき、「私は行かな
い。なぜならきっと二人の生活がキリキリしてしまうのが目に見えてるから・・・」
そう言った。やはりそれは間違いではなかった。

 私も東京で生活し、働いていると疲れてくる。毎日満員電車に乗り、その満員電車
のなかではみんなイライラしてそして街中先を急いでいてこれまたイライラした人が
たくさんいて、こっちまでイライラしてくる。彼だってそうだと思う。今までとは違
う仕事に、私が感じているものと同じだと思うのだ。

 すると、あるちょっとしたことでケンカになってしまう。だんだん優しさが薄れて
くるように感じていた。なにか当たり前の感じになってきて掃除をするのもご飯を作
るのも当たり前・・・、そんな風に感じれば感じるほど私はイラついていた。買い物
だって札幌にいた頃はもちろん、東京に来てからも休みの日は二人で行っていたのに、
ちょっとたってからは行こうとしなくなって私にまかせっきりにしていたりと生活の
悪循環が見え始めていた。時には私も我慢できなくなって爆発していた。もちろん普
段から私は思ったことを口にして不快感や要望を繰り返してきた。しかし、それを何
度となくしても聞き入れてくれないことにキレテしまうのだ。ある日、米を研いでい
て私のつらい思いにパソコンばかりして耳を傾けてくれない彼に怒りを感じ、その米
を台所にバーンと投げつけて出て行き、しばらく駅の周りをぶらぶらして家に帰った
こともあった。それくらい多くのストレスに包まれたものになっていたときもあった
のだ。

 それをあげればキリがないだろう。そんなの今話しただけじゃなく割と日常的にそ
うなってしまうのだから。情けなくて大声で泣いたこともあった。東京での時間の流
れと彼の堕落していく様に・・・。今は違うが、東京に来たときというのはわずか7
畳半の1Kのところに二人で済んでいたのだ。だからケンカをしても逃げ場所がなく
二人ともそれに耐えるしかなかった。キリキリとした生活はやはりあったのだ、私が
予測したとおりに。

 でも、じゃあなぜ別れなかったのだろうか。私は今現在に至るまで多くの人に「ど
うしたらそんなに長く一緒にいられるの?」と聞かれることがよくある。でも私は先
を急がなかったから一緒に居られているのだと思う。多分すぐ別れる人たちというの
は相手の何もわからないまま、もしくはもう少しでわかるところなのに別れてしまう
のだろう。

 人間すぐに全てをわかってしまうことなんてできないのだ。ひとつひとつ出てきて
見つけて積み重なっていく。ある友達が彼女と別れ、私に電話をしてきてこう言った、
「やっぱり最後に許せる、そして許してくれるのは家族だ」と・・・実に同感だ。本
当にそうなのだ。どんなことをしても最後に許してくれるのは家族なのだ。仮に人を
殺したとしても自分を許してくれるのは家族なのだ。

 そう、私たちは家族になっていたのだと思う。ただ好きで一緒に長くいられるもの
ではない。もちろん長くいるには最初からある程度の要素も必要だ。“価値観”、こ
れは世間一般に言われているけど決して間違いではないと思う。この価値観がまるっ
きり違えばどんなに努力しても継続していくのは不可能だろう。そして言葉は悪いが、
何かを得ようとすれば何かが犠牲になることでもある。正しく言えば、次のステップ
に移るということだ。私みたいな関係を築けば、当然のように恋人らしい雰囲気はな
くなる。ただし本当に家族のように安心した時間が得られる。恋を取るか、家族にな
ることを選ぶか・・・。人は残念ながらその両方を得ることは非常に難しい。だから
そのときの二人の関係によってどんどんステップアップも必要なことだとも思う。

 しかし努力は必要だ。私も彼は生まれた場所も年も違えば、育った環境も全然違う。
お互いに知らなかったこと、または考えが違うと思うことだって出てくる。でもそこ
でお互いの歩みよりというのはとても重要なことだと思う。無理にではなく、自然に
相手のある趣味に近寄って好きになったり。そうは思わなくても実際に共にいると自
然に相手の考えがうつったり、好きな曲が自分も好きになっていったりするものだ。

 逆にいやなことについても同じことが言える。仮にすごくいやなことを相手にした
り自分にされたりすることもあるだろう。そのときはどちらも考えや方法を譲らなく
ても、もしまた同じことが起こったとき少なくとも“気をつける”ということをする
と思うのだ。この“気をつける”ということが二人の歩みよりをより確実のものにす
る。だから努力をするというのはお互いにとって大切なことなのだ。その人の好きな
ものに一緒になってつきあってあげる、自分の好きなものにもつきあってもらう。そ
うしているうちに最初はすごく離れていた関係も、一本の線とまではいかなくても、
二本の近い線になっていくのだと思う。

 人間一本の線になるなんて到底無理だと私は思う。一本になるってことは、自分を
犠牲にし、押さえつけ自分ではなくなることだから。お互い違う線だということを認
識してその線を自分自身で動かしていくことが何より大切だ。

 あともうひとつ、私が付き合い始めに先を急がなかったと言ったが、付き合ってい
く過程でも先を急がなかったというのがある。中森明菜の歌の一節でこんな歌詞があ
る。『愛する距離を急ぐぶんだけ、いつ別れが来ても不思議じゃない・・・』
いつかのエッセイの中で、私たちの世界(ゲイ)は一般の人たちより時間の流れた早い
と言ったことがある。年を取るのは普通の3倍の感覚、つきあいに至っては5倍に相
当するのではないのかとさえ感じることがある。

 男と男という関係上なのか、ゲイならではの時間の読み方なのかそれくらい時の流
れ方が早いという話がよく出るのだ。私は自分をさらけ出してはいても付き合うスピ
ードについてはあるスタンスを守っていた。ずっと最初の気持ちのまま好きという気
持ちが続く保証なんてどこにもない。となるとどこまで“この人、この人間が好き”
と思えるかが大きなキーポイントになってくる。

 彼は昔から「ずっと一緒にいよう、永遠に」とか最近の表現の仕方では「ずっとい
るもんだ」私が「何で?」と聞くと「奥さんだから当たり前、当然だよ」とちょっと
冗談も交えながら言ったりするものだ。しかし私はそれについて一度も首を縦に振っ
たことがないのだ。これを聞くと私に愛はあるのか?それは冷たすぎるんじゃないの
か?という意見も出てきそうだけど、実際ないのだ。

 私はいつも彼に言う。「永遠なんてないんだよ」と。これは十代のときからの考え
なのだ。永遠なんてない、続く限りということはあっても。それは恋人や夫婦だけで
はなく親兄弟にだって言えることだ。人間永遠の保証ができるほど先が見えているわ
けではない。いつ何が起こるかわからないのだ。これは決して悲観的になっているわ
けではない。もし永遠を約束してそれが永遠じゃなくなったときにはどうなんだろう、
私が永遠を約束してこの人が永遠じゃなくなったときには私はどうなるんだろうと考
える。

 これは私の防衛策なのかもしれない。もしそうじゃなくなったとき、自分がどこま
で崩れてしまうのかというのが怖いのかも、そういう思いがどこかにあるから。でも
やはり『永遠』という枠にとらわれずできるところまでやっていこう、やっていきた
いという思いがあるほうが私にはいい。そういったある意味『覚悟』みたいなものが
あるから普段は表れない多少の緊張感や心地よいスタンスが生まれてくるんじゃない
かと思っている。

 もちろん日常そんなことを過剰に意識して暮らしているわけではない。彼とは決し
て“永遠”ではないけれど、互いが一緒にいて勉強でき、尊敬でき、安息できる時間
だと思う限りは共に暮らしていきたいと考えている。現在でもいろんなことがあって
いやになることも多分にあるけど、へっちゃらじゃないかなという何の根拠もない自
信みたいなものもある。

 なぜなら、私たちが付き合いを続けている中、ほかの人たちが別れていってる間に
も、私たちが作り上げてきた時間や思い出、話したこと泣いたこと喜び合ったこと、
その関係はそんなにヤワで甘ったれたものじゃないと確信しているから。

 それに私たちは家族になっている。二本線は引かれているけど、実の家族と同じよ
うに作ってきた時間の線があり、私はそれをさらに伸ばし自分にとっていい時間に変
えていこうと思う・・・

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 長い文章、読んでくれてどうもありがとう!これをもってこのカミングアウトシリ
ーズは最終回になりました。
 もちろん、全てのことが伝えられたわけではないけど、一通りの私の歩みをお話す
ることができたと考えています。人はいろんな人との関わり方があってとても興味深
いものだと思います。みなさんは今までどのような人たちとの関わり方があったので
しょうか?聞かせてください!

 さて、このシリーズは終わりだけど、次回は違った“カミングアウト”をお届けし
ようと思っております。これまた乞うご期待!!!
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